元証券マンのWEBデザイナーが福岡に移住した理由とは?

福岡市内でフリーランスのWEBデザイナーとして働く越水(こしみず)大輔さん(33歳)は、かつて都内の大手証券会社に勤めていた、いわゆる“証券マン”でした。新卒で入社した証券会社に在籍した期間は4年半。退職後は、ベンチャー企業や不動産関係など、業界問わず職を転々としたといいます。

一方で、私生活では平成21(2009)年に結婚し翌年に第一子が誕生。その後一念発起して、平成23(2011)年にWEB制作の勉強を開始。そんな折、東日本大震災が発生。翌年に家族で福岡へ移り住むこととなります。

仕事から住む場所まで……この10年で、大きく「変貌」を遂げた越水さんにお話をお伺いしました。

――そもそも、どうして大手証券会社社員という肩書きを捨てることを決意されたのでしょうか?

越水 もともと学生時代から、いつか自分で事業をやりたいと考えていました。退職後にベンチャー企業に就職を決めたのもそのためです。ただ、そこでビジネスの作り方については色々と学べましたが、社内環境に自分をマッチさせることができず、半年で辞めてしまうことに。次に就職したのは不動産賃貸の仕事。ここでも、結局半年ほどで退職してしまいました。

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妻子を持つ身として、さすがにこれ以上転職を繰り返すわけにはいかない。そこで、「自分は結局何がしたいのだろう」と何度も自分に問いかけました。「自分が好きで、続けられることはなんだろう」と。ずっと過去まで遡って考えていると、ふと小学生の頃、絵やイラストを描くことが好きだったことを思い出しました。その記憶と、興味があったインターネットというテーマが合わさって、WEBデザインという選択肢が初めて浮かんできたんですね。すぐにWEB業界へ入るために独学で勉強し始めて、制作のための知識を身に付けていきました。加えてIT系のセミナーに参加するなどして積極的にWEB業界の知り合いも増やしていきました。

――WEB制作を学びはじめた直後に東日本大震災が発生。小さなお子さんもいて大変だったのでは?

越水 ええ、本当に大変でした。まず考えたのは妻と子どものことです。震災の後、幸い妻の知人からWEB制作の仕事を頂けて、そのままフリーランスとして活動することになりましたが、東京という街で仕事や生活を続けることに疑問を感じて、翌年に移住という選択を取りました。さらに移住先を福岡に決めたのもスムーズでした。私の場合、妻が大牟田市出身ということもあって、結婚前から半年に一度はこちらに足を運んでいたので、福岡市の魅力もわかっていました。福岡は都市部の近くに海や山など、子どもを目一杯遊ばせてやれる環境もたくさんある。あと、仕事面でも不安が少なかったことも決め手になりました。すでに私自身、九州の仕事を請け負っていましたし、福岡は都市規模も大きいので新しい仕事を得られるだけのビジネス環境もありますからね。

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――実際に福岡に移住されていかがでしたか?

越水 一番のメリットは、移動にかかるコストが大幅に減ったこと。東京では移動する際、どうしても電車やタクシーを使わなければならなかったけど、福岡では街の端から端まで自転車で行けちゃう。本当にコンパクトというか、東京じゃ考えられません。また、移動に時間を取られなくなった分、ものづくりや家族とのコミュニケーションに時間を使えるようになりました。もちろん東京ほど街の規模は大きくありませんが、福岡の街の規模は充分だと思います。

――越水さんのように、福岡移住を考えている人は多いかと思います。そんな人たちに何かアドバイスはありますか。

越水 福岡はとにかく人間関係がとっても濃密。人との触れ合いが好きでみんな優しく接してくれるので、移住者にとっても入り込みやすい土地柄だと思います。その分、人とのつながりは大事にしたほうがいい。また、福岡には人材を求めている会社も多いので、本人にやる気や向上心があれば、仕事を確保するチャンスも十分にあると思います。とにかく福岡はなにもかも程よく、暮らしやすい。東京や大阪など「ビジネス中心の大都会」の暮らしに少しでも疑問を感じている方は是非、福岡での生活をオススメしたいと思います。

 

[プロフィール]
越水大輔(こしみずだいすけ)さん
昭和56年(1981年)生まれ、神奈川県川崎市出身。ホームページ制作を行う「アイドットデザイン」代表。同社ではWEBサイトの構築業務を主に請け負っており、首都圏のクライアントも多数。「仕事に場所を縛られない」ライフスタイルを実践中で、遠く離れたクライアントのプロジェクトもリモートで対応。家族構成は、妻、長男の3人。

 

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