家康に信長、信秀まで!? 福岡やきとりチェーンの雄、戦国やきとり店の本丸に潜入してきた

焼鳥盛り合わせ

福岡グルメの一つ「やきとり」は、「やきとりなのに豚バラが一番人気」「おかわり無料のキャベツ」など、県外の人がビックリする独自の文化でも知られています。こちらの記事(https://www.city.fukuoka.lg.jp/hash/news/archives/148)で取り上げたように、福岡市内にあるやきとり店の数は600軒以上で、21大都市中で人口一人あたりに対する店舗数は全国1位! お酒のおつまみとしてだけでなく、家族連れでも楽しめる福岡県民のソウルフードとして親しまれています。

各店舗の外観

ところで、福岡市内、特に博多・天神あたりでは、似たようなデザインのやきとり店をよく見かけます。店名は、「信長」「信秀」など、戦国武将にちなんだ勇ましいもの。ネットの口コミでも「間違えて入ってしまった」という声があったり、系列店と勘違いされるほど似ています。街のいたるところで目にする割には、公式ウェブサイトにも詳細情報はないため地元民にとっても謎多き存在。

改めて取材してみたところ、それぞれ別会社の運営ではあるものの、実はもともと一つのやきとり屋台が起源だということが判明。「大島家」の6人兄弟のうち、4人がそれぞれ武将の名を名乗った店舗を作ったとか!

信長本家の外観
「天下の焼鳥 信長(のぶなが)本家」
昭和30年代に福岡・大名で大島家の四男と五男がやきとり屋台「信長」を立ち上げ、昭和39(1964)年に店舗をオープン。現在、博多駅前と天神に2店舗を展開。やきとり以外に、もつ鍋やゴマサバなど博多名物も豊富。

 

戦国焼鳥・家康の外観
「戦国焼鳥 家康(いえやす)」
兄弟の中でも唯一大学へ進学した三男が、昭和37(1962)年に創業。現在、博多・天神・久留米などに12店舗を展開。

 

信秀本店の外観
「天下の焼鳥 信秀(のぶひで)本店」
「家康」で修行をした店主(大島家ではない)が昭和39(1964)年に創業、中洲川端に1店舗を構える。

 

天神信長の外観
「天神信長(てんじんのぶなが)」
「信長本家」で修行をした六男が昭和43(1968)年に創業。現在、天神エリアに3店舗を展開。

 

◾店舗数を拡大した「家康」の本社に取材

福岡のやきとり店で当たり前になった「やきとりにキャベツと酢ダレ」はこの大島兄弟によって始まったサービス。昭和30年代に生まれた「福岡のやきとり」について、現在もっとも店舗数の多い「戦国焼鳥 家康」の本社にお邪魔して聞いてきました!

福岡市城南区にある「戦国焼鳥 家康」本社で出迎えてくださったのは、専務取締役の藤田道廣さん(65歳)。

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(昭和45(1970)年、18歳のころに入社したという藤田さん。「今では一番の古株です」(藤田さん))

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(藤田さんは現役のやきとり職人。博多14号店に立つ姿は貫禄あり)

 

「キャベツと酢ダレ」で食べる福岡特有のやきとりを長年提供

――創業当時から今でいう”福岡スタイル”のやきとりを出していたんですか?

藤田 もちろん。キャベツと酢ダレは当時から。豚バラは、脂身が多くて安く提供できたので創業以前から福岡のやきとりでは普通だったね。間にネギを挟んで出す場合が多かったから、「ねぎま」って呼ばれてたよ。

――家康の酢ダレは、レモン仕込みが特徴的ですよね。

藤田 おいしかろ? これも創業者の大島静喜が考案した、門外不出のレシピ。レモンを丸ごと使ってるから、レモンの粒がわかるの。レモンとタレは、風味を飛ばさないように提供直前に混ぜるんよ。持ち帰りの時は、別々の容器に入れるからね。

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(秘伝のタレはもともとやきとりにつけて食べることを想定したもの。「タレに豚バラの脂が溶け出して、だんだん味が変化していくのがおいしい」と藤田さん)

――店舗数もすごく多いですよね? 「家康22号店」とか書いてあってびっくりします。現在は何店舗あるんですか?

藤田 号数は22まであるけど、縁起を担いで飛ばしている数字があったり、同じ建物内のフロアごとに数字を振ったりしているので、正確な店舗数は現在12店だね。赤坂が1号店で、天神と博多、久留米があって、今年は台湾にも店を出したよ。創業から50年以上経つけど、閉めた店は条件的に合わなかった3店舗だけだね。創業者がやり手だったから、チェーン展開もどこよりも早かったよ。

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(家康は12店舗あるので、仕込みは本社工場で一括して行う。朝からバイトも正社員も一緒になって働き、店長が各店舗に運んでいく。)

 

敏腕ビジネスマンだった創業者の、巧みな戦術

――お話を聞いてると、創業者である大島静喜さん(三男)の経営手腕をひしひしと感じます。

藤田 やきとりを始める前から、箱崎や中洲でスタンドバーを数件経営していて、飲食業界に明るい人でね。私は18歳の頃に福岡大学に通っていて、家康でアルバイトをしてたんだけど、社長の経営戦術に惚れ込んじゃって、大学を中退して入社を決めたんだから。

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(18歳からやきとりの道へ入った藤田専務。勤続50年も目前!)

――そこまでとは! 具体的にどんな経営戦略が新しかったんでしょう?

藤田 まず、当時はオフィス街で居酒屋が少なかった赤坂に1号店を出したこと。その頃は西鉄ライオンズ(※)の時代で、仕事を終えたサラリーマンたちが球場へ向かう道の途中に店があったの。創業時のメニューはやきとりに特化して、おしぼりも箸も出さないような、あえて粗野なサービスにしたらしい。その気楽さがウケて、店の周りをお客さんが何重にも囲んでしまうほど行列になったとか。横幅が3メートルある焼き台があったらしいからね。

(※現在の埼玉西武ライオンズ。昭和26(1951)年〜昭和47(1972)年当時は福岡市に本拠地があった)

――当時の盛況ぶりが目に浮かびますね。

藤田 テレビで『家康のやきとりは高いのか? いいえ、やすい〜♪』というCMも放送したりしてたんよ。お茶の間に浸透すれば、大人だけでなくお子さんも通えるからね。今は当時のお孫さんたちが通ってくれたりもして。次の世代につながっていくのも、大事なことだからね。

――ますます創業者である大島さんに興味が出てきました。ぜひ一度お話を聞いてみたいんですが、どちらにいらっしゃるんですか?

藤田 会うのはちょっと難しいかなぁ。現役時代は仕事一筋だったけど、80歳で引退するって決めていて、80歳の誕生日を迎えた平成27(2015)年6月に宣言通りきっぱり引退したんだよね。今は故郷の天草で、仏像を彫ってるらしいよ。

――仏像! やっぱり道を極めた人は違いますね。藤田専務も80歳まで、まだまだ引退できそうにないですね。本日はありがとうございました!

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(家康の一番人気メニュー「焼鳥盛り合わせ5本」(800円・税込)。豚バラが1本サービスされる)

身近なやきとりチェーンの歴史を紐解いてみると、当時の熱気や知られざる敏腕経営者の姿が見えてきました。福岡独自の文化の背景には、こんな武将たちがいたんですね。「戦国焼鳥 家康」は今年11月3日に台北1号店をオープンさせ、半世紀を経ても進軍中。福岡から生まれたやきとり文化が、次の世代でどんな変化を遂げるのか楽しみです。

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