名うてのバイヤーにして福岡ファッション界の良心、ジョニーさんとは何者なのか?

福岡のファッション業界や音楽業界に多く知己を持ち、さまざまな福岡発のカルチャーの仕掛け人ながら、本人はついぞメディアに登場せず。そんな存在だったジョニーさんこと山下宗孝さんが、最近にわかに動き出しています。

福岡のタウン情報誌「シティ情報ふくおか」で銭湯に関する連載コーナーを始め、平成31(2019)年2月には「“nFo(new Fukuoka order)”」と題したイベントを開催。自身の拠点として11年間営業していた福岡・平尾のセレクトショップ「PHAT SHOP」は5月でクローズし、同月30日に「moreAXE」として移転オープンしました。長年、シーンに寄与し続けたジョニーさんが語る、福岡のストリートカルチャーとは? そして自ら表舞台に立って動き始めた理由とは? 自らのあゆみを振り返り、語っていただきました。
(写真はPHAT SHOP店内で撮影)

バンドのVHSを、擦り切れるまで見て学んだ

ジョニーさん

--街の方々でお名前を聞くものの、Webメディアなどにはほとんど登場されず、これまで謎が多かったジョニーさん。まずは、経歴からお聞きしてもいいでしょうか?

ジョニー わかりました。生まれは大阪ですが、5歳の時に福岡の春日市に引っ越してきて、以来ずっとこっちにいます。

--ファッション業界にはどんな経緯で?

ジョニー ファッションより先に、音楽なんですよ。兄の影響で、小学生の頃からパンクロックを聞き始めました。当時は、福岡にパンクロックのシーンがあって。スワンキーズというバンドが特に有名でした。

--それはいわゆる「めんたいロック」と呼ばれたシーン?

ジョニー いや、その次の世代ですね。めんたいロックはブルースやR&Bがルーツにありますけど、僕らが憧れたのはロンドンパンク。古着のジーパンを買ってきて、雑誌に載ってるセックス・ピストルズの写真を見ながらカスタムしたり。

--するとジョニーさんというあだ名は、(ピストルズの)ジョニー・ロットンからですか?

ジョニー いえ、そこはジョニー大倉です(笑) 当時は革ジャンにリーゼントだったんで。

--(笑) しかし福岡にそんなシーンがあったとは知りませんでした。

ジョニー 地元の先輩たちがやっていたラストチャイルドというバンドがあって、スワンキーズの弟分みたいなバンドなんですが、めちゃくちゃかっこよかったんですよ。歳は5〜6コ上ぐらいなんですが、すごく大人に見えて。よく一緒に遊んでましたね。高校ぐらいまでは、ファッションから何から、すべてモノマネです。

--憧れのバンドの音楽やファッションに近づきたいときに、インターネットのなかった当時は何を情報ソースにしていたんでしょうか?

ジョニー 「DOLL」や「宝島」なんかの雑誌、あとはバンドのVHS。みんなでテープが擦り切れるまで見てました。

--それで、ご自身も音楽活動を?

ジョニー ええ。うちの父や兄も楽器を演る人だったから、僕もベースを始めて、中学の時からバンド活動をしてました。高校時代は、ミハラヤスヒロさんなんかも近くにいて。彼はそのあと、ジャケットとか靴をカスタムして作るようになって、ファッションデザイナーになっていくんですけど。向井秀徳さん(ZAZEN BOYS)が主催していたイベントにも、高校卒業後はよく出演してました。

--当時、音楽やファッションにそこまで心酔できた理由は何なのでしょうか?

ジョニー 若かったから、まずは「目立ちたい」「モテたい」だったと思いますよ。僕らのバンドも、男ばかりだけどファンがいたので、ステージで歓声をもらって得る快感がクセになってたのかもしれませんね。

--東京でメジャーデビューの機会もあったと聞きました。

ジョニー  オーディションを受けないかと言われて。そうしたかったというより、周りから押し上げられたんです。でも自分としては、その先に何があるのか、わからなかった。バイトで始めた古着屋で店を任されて仕事が面白くなってきた時期だったから、東京に行く気はなかったですね。

--でも、一度は東京で勝負したいという野心もあったのでは?

ジョニー というか、東京がすごいという思いは最初から全くなかったんです。福岡の日常が楽しかったし、同じようなことをこっちでもやってるし、という感覚で。東京の人よりも身近な先輩たちの方がよっぽどカッコいいって、思ってましたから。

博多ラーメンをモチーフにしたブランド「ZURU ZURU」のTシャツ

カリスマ店員、会社設立、そして東京への違和感

--その後は、どんな仕事を?

ジョニー 平成11(1999)年にジーンズブランド「ドゥニーム」のFC(フランチャイズ)を任されて、店長として福岡店の立ち上げをやりました。オープンしてみると、開店30分前から行列ができて、ジーンズだけで月に1,000万円ぐらい売って。

--1,000万! ヴィンテージデニムが大流行した時期ですか。

ジョニー そう。金が回って、景気がよかったですね。お客さんがひっきりなしに来るので、接客のスキルも上がるし、ジーンズの裾上げなんかもすぐに覚えて。履いている姿を見ただけで、サイズまで当てられるようになりましたからね。

--それだけ繁盛していて、ドゥニームを離れる理由があったんですか?

ジョニー 一般のお客さんに売るのは、もう十分経験した。だから、次はプロにモノを売る仕事がしたいと思って、卸の仕事をすることにしたんです。その頃すでに、アメリカから日本に入ってきているモノの九州での展開や、全国各地でバイヤーやショップの人たちとの繋がりもできてきていたので、独立しようと思って。それが平成16(2004)年頃かな。

--ご自分の会社ではどんなモノを扱っていたんでしょう?

ジョニー ファッションは移り変わりの早い世界だから、その頃にはジーンズブームも落ち着いてました。代わりに出てきたストリート系やフェス系など、その時々で新しいカルチャーに繋がりそうなモノを扱っていましたね。東京を始め全国で展示会も開くようになって、ビームスやユナイテッドアローズ、スタートトゥデイあたりのバイヤーさんがみんな来てくれるようになって。僕と友人、その彼女の3人で年商1億円くらいは売り上げてたので、調子良かったですね(笑)

--東京にも事務所を持っていたんですか?

ジョニー 仕事的にはその方が良かったんですけど、どうも水が合わなくて。東京の人といっても、9割ぐらいは地方から出てきている人たちだし、当時のイキがった僕からすれば、ファッションの捉え方も表層的というか、根っこにカルチャーを感じなくて。そういう人たちがファッション業界を動かしているのかと思うと、つまらないなと思い始めたんです。

--そこでいうカルチャーって、どんなことでしょう?

ジョニー 僕らが憧れたのは、先人たちのオリジナルな生き様であって、着ているものだけ真似てもカッコよくなれない。ファッションそのものというより、その背景にある考え方や態度、音楽とかの表現、そういうものが混ぜ合わさってひとつのカルチャーをつくるんだと思います。だから、ルーツに何があるのかを、いつも知りたいと思ってる。でも、東京のファッション業界は流れが早いから、トレンドを追いかけるのに忙しくて、ルーツまでたどり着けないんじゃないかと思って。

--なるほど。

ジョニー  それで、東京の方は人に任せて、僕は手を引きました。福岡で、自分の手の届く範囲で店をやろうと思って、11年前にPHAT SHOPという小さな店を立ち上げて、福岡を拠点に活動してきました。

PHATO SHOPの外看板

地に足つけて、地元からつくる

--ジョニーさんの元へは、音楽関係者やファション関係者など、福岡に限らず、全国からいろんな人が訪れていますね。

ジョニー ありがたいことです。卸の仕事で旭川から石垣島まで巡ったので、全国にツテがあるんですよ。単に売れている店というよりも、現地のコミュニティを持つ店に行っていたから、今でも関係が切れずに続いてるんですよね。

--でもこれまでは、ジョニーさんはあまり表舞台にいらっしゃいませんでした。

ジョニー 自分が前に出る必要はないと思ってたんです。僕らの感覚からしたら、自分で自分のことを語るのは、かっこ悪いというか。でも最近、少し変わってきました。自分の子供も大きくなってきたし、若い子たちにも僕らがやってきたことを示してあげないとなと。

--2月3日に行われたカレーと音楽のイベント「nFo」では、実際に昼も夜も大勢の若者でごった返していました。

ジョニー これは、今後僕がやっていきたいことの、いわば立ち上げ興行ですね。地元・福岡と、大阪や他の地域でカッコいいことをやっている人たちを、カルチャーの場で融合させること。13時から18時までの1部と、19時以降の2部に分けて、1部は九州と大阪の有名店のカレーをワンプレートで楽しめる会、2部はDJ MUROを招いて、ニューヨークのブランド「RAP TEES」のリミテッドデザインの発売に合わせたDJイベントを企画しました。ラインナップを見ていただければわかりますが、カレーの出店者の皆さんは、通常のイベントではなかなか出てくれない人たちですし、会場となったMERICAN BARBERSHOP FUK(メリケンバーバーショップ フクオカ)も、元は神戸のお店で、今の福岡ではユニークな存在。内も外もなく、本当にいいものを、同じようにいいと分かち合える人たちと協力して作ったイベントです。たくさんの同士に手伝ってもらって、実現できました。感謝しかないですね。

2月3日に開催された「nFo」のカレーイベントで賑わう店内の様子
(スパイスカレー好きを唸らせる名店(GARAM(福岡)、ダメヤ(福岡)、ガネーシャ(小倉)、カレーのアキンボ(佐賀)、深夜特急(熊本)、SIMBA CURRY(大阪))のスタッフが、カウンターに一堂に会してカレーを提供する様は圧巻)

--nFoのロゴは、nWo(New World Order、プロレスユニット)のオマージュですね。

ジョニー そうです。nWoは、既存の古いものを一回壊して、まったく新しいものを作ろうという動きで、プロレスの枠を超えて支持されました。プロレスは、幻想ありきのエンターテインメント。アントニオ猪木がどれだけ強かったのか、本当のところはわからないけど、その謎も含めてみんな熱狂した。nWoもDJ MUROも知らない若い子たちにこそ、その面白さを感じてもらえたらいいなと。

--謎や幻想が大事、と。

ジョニー そう思います。ファッションも同じで、昔はお店によってモノの値段が違うのも当然でした。ここは7,800円、こっちだったら9,800円。それでも、カッコいい店員さんがいて、その人に勧められれば、高くても買っちゃう。でも今は、スマホの中に全部答えがある。ファッション業界全体が種明かしされちゃったから、幻想を持ちにくくなりましたよね。でも僕は、幻想を抱いて憧れる気持ちを取り戻したいなと思ってるんです。

--イベントの他にも、「ZURU ZURU」という博多ラーメンをモチーフにしたブランドの展開や、「餃子のラスベガス」の店舗プロデュースなど、幅広く手がけてらっしゃいます。

ジョニー きっかけはいつも、ちょっとしたことなんですよ。餃子のラスベガスは、たまたま代表の方がうちの店舗に来てくれて、うちに置いてるものを気に入ってくれて。「新店舗をジョニーさんに頼みたい」となって、「僕、やったことないですけど、やってみましょうか」と。そんな風に始まりました。ZURU ZURUの方も、Tシャツイベントに出店してほしいと依頼が来て、頭に描いたイメージを友人に送ったら、バッチリのイラストにしてくれて。商品化したら結構売れたんで、そのままブランド展開に至ったという。

--肌感覚やセンスを大事にしているわけですね。そんなジョニーさんからは、最近の福岡はどんな風に見えていますか?

ジョニー うーん。いま福岡が外から注目されて、盛り上がっているように見えるのは、東京や他の地方から来た人が仕掛けているケースが多いなと思います。注目されるのはいいけど、外から来る人たちは、やりっぱなしのことも多い。最初は人が集まってお金が潤って、でも下火になってくると手を引いて、後には何も残らない。大名エリアだって、昔は古着を中心とした福岡独特のコミュニティがあったけど、外の資本が流入して、雰囲気がガラッと変わってしまって。

--確かに。

ジョニー その一方で、他所から来るものの中にも本当にいいものはたくさんあって、それを敵のように思って排他的になってしまうと、保守的なままいつまでも変わらない。幸い、僕には全国に知り合いがいて、彼らと遊んでいれば情報は自然と入ってきます。その中で、いいものはやっぱり取り入れていきたい。それを、福岡にいながらいかにやっていくか。これまでの経験と人のつながりを生かしていきたいと思っています。

「リスクを背負ってでも、次を見せないとな、と」

--ところでジョニーさん、最近はお風呂にハマっているそうですね。

ジョニー そうなんですよ。銭湯って、ローカルコミュニティだと思っていて。その地域の匂いを感じる場所。情報が集まってるから面白いんじゃないかと。

--情報、ですか?

ジョニー 例えばサウナの中で「おじさん、すいません。地元の方ですよね。おいしいお店ありますか? 〇〇が食べたいんですけど」って聞いてみてください。「あ〜、じゃあそこ行けよ」って教えてくれますから。銭湯には、土地の人しか知らないような、生きた情報があるんです。昔、よくクラブで遊んでいた頃は、行ったら誰かがいて、そこで情報交換して、そんなコミュニティが楽しかった。今は少し自分も歳をとってきて、クラブより風呂が、しっくりきますね(笑)

--お話を伺っていると、人のつながりや、コミュニティをずっと大切にされてきた方なんだなと思いました。

ジョニー そんな大げさなことじゃないんですけどね。お金にならなくても、好きなことをとことん楽しみたいなと。「好き」は人に伝わって、それがコミュニティになっていく。人が楽しんでいる姿って、はたから見てもカッコいいですからね。

--ジョニーさん自身も、そうやってカッコいい大人たちに憧れてきたことが、今につながってるわけですもんね。

ジョニー その通りです。音楽も、ファッションも。だから、自分がずっと楽しんでいたいなって思います。今45歳で、そろそろ50の大台も見えてきて、長男も20歳になって。今の子たちが、その場限りではなくて先につながるようなことをどれだけできるか。そこを作るために、僕自身がこれから何を残していくか。リスクを背負ってでも、次を見せないとなと。

--それが、移転オープンした「moreAXE」で展開されるということでしょうか? 今後の計画を教えていただけますか?

ジョニー それはまだ言えませんね。幻想が大事って、言ったでしょ(笑) 面白いと思えることを、これからも仕掛けていきますよ。一緒に風呂に行くことがあれば、そのときに話しますから。

ジョニーさん

 

[プロフィール]
山下宗孝(やました・むねたか)さん
昭和48年、大阪生まれ。福岡県春日市育ち。moreAXE代表。18歳より福岡の古着店でアルバイトをし、平成11年にオリジナルデニムを開発する「ドゥニーム」のFCにて福岡店の立ち上げを行う。平成16年に退社し、翌17年に卸を専門とする「small AXE」として独立開業。また並行してジョニー・アックス名義でDJ等の音楽活動を行う。平成20年、福岡・赤坂と平尾にファッション・雑貨のセレクトショップ「らんらん」「PHAT SHOP」を開店。現在は、福岡・高砂に「moreAXE」を運営。他に、福岡の人気ビストロ「Yorgo」が作った餃子店「餃子のラスベガス」の店舗プロデュース、博多ラーメンにインスパイアされたブランド「ZURU ZURU」の企画運営などを行う。福岡発のタウン誌「シティ情報ふくおか」では、FUKUOKA NEWYOKU BOYZとして、街の銭湯の連載コーナーを担当している。ここ最近の座右の銘は、「フルタイム風呂タイム」。

アクセスランキング