モバゲーを立ち上げた人物が福岡に移住。次なる構想とは?

福岡から世界に向けて、エンターテインメントコンテンツを制作・配信する会社、グッドラックスリー。ブロックチェーンを活用したビジネスがまだ数えるほどしかない日本において、「くりぷ豚」というゲームを早々にローンチしたことで話題となりました。その後も、ゲーム×ブロックチェーンを起点にさまざまな取り組みを行う、業界内でも目立った存在です。
平成30(2018)年2月、そのグッドラックスリーに取締役として就任したのが、元DeNAの畑村匡章さん。彼は何を隠そう、日本を代表するゲーム&SNSサイト「モバゲータウン(現在はモバゲー)」を構想し、立ち上げたその本人です。インターネットの黎明期から業界の第一線で活躍してきたソーシャルゲームの第一人者が、なぜ福岡に移り住んだのか。ブロックチェーンを使って次にどんな構想を描いているのか。その真相について伺いました。

生活環境の豊かな福岡でブロックチェーンに懸けてみる

――福岡に移住されたのはいつ頃ですか?

畑村 グッドラックスリーに加わった平成30年2月に東京から移住しました。もともと、妻が福岡出身で地縁があり、妻の両親の高齢化や4歳になった子どもの育児環境などを考えていて。幸いグッドラックスリーが雇ってくれるということで収入の当てもつき、移住を決めました。

――畑村さんは、DeNAでゲーム&SNSサイト「モバゲー」を立ち上げたご経験をお持ちですよね。

畑村 モバゲーは、コンテンツビジネスに関われる仕事を探す中で、DeNAの新規事業メンバー募集を見て応募したことがきっかけです。当時の事業リーダーで現社長の守安功さんと、アルバイトで後のCTOとなる川崎修平さん、私の3人で、事業・企画・プロダクトを考えました。

僕らの世代は小さい頃からゲームが身近にありました。特に、小学校4年生の頃に出たファミコンは衝撃的で、友達の家に上がり込んで夢中で遊びましたね。パソコンが出た時も、ゲーム目当てで街の電気屋さんに行ったりして、遊びがゲームの時代でした。

――ゲームが世の中を変えるような興奮がありましたね。そんな小さい頃の原体験が「モバゲー」の着想につながったんですか?

畑村 パソコンで流行っていたゲームとアバターを組み合わせたサービスを、モバイルでもやったらどうか?と考えたことが始まりです。ちょうど通信環境として3G回線が整い始めて、ケータイの常時接続が現実的になってきた頃でした。そこで、ゲームとコミュニケーションが一体化したものをイメージして。幼い頃、友達の家に集まって、ファミコンで遊んで楽しかったあの感じを、ケータイでも味わえるようにしたいなと。

――「モバゲー」は若い世代から火がつき、あっという間に利用者が数千万人の巨大サービスに成長しました。そんな成功体験をお持ちの畑村さんが、いつ頃から福岡への移住を考えるようになったのでしょうか?

畑村 DeNA時代に、上海に赴任していた時期があって。ちょうど妻と付き合い始めた頃で、日本にもちょこちょこ帰ってこられるようにと福岡に家を借りていました。月に1、2回通ううちに街の良さを感じて、いつかここに住みたいと思うようになったんです。

――具体的に、どんな良さを福岡に感じたのでしょう?

畑村 街としてコンパクトなところですね。すぐ近くに山も海もあり、程よく都会で程よく田舎な感じが好きです。東京で働くこと自体は面白かったけど、街として居心地がいいわけではないので、しっくりこなくて。通勤時の満員電車も地獄ですしね(笑)。死ぬまで暮らしていく想像ができなかった。でも福岡では、そのイメージが持てたんです。

子どもが生まれたことも大きかったと思います。今はまだ4歳で、これからどんどん人格が形成されていく大事な時期。もっと人の顔が見えて、ゆとりを持って子どもの成長に寄り添える環境で育てたいと思いました。福岡なら、自然も近いし祖父母も近くにいる。私たち夫婦が理想とする環境があるなと。実際暮らしてみると、移住は正解でした。

――とはいえ人や情報が集まる東京を離れて不便に感じることはないですか?

畑村 特に感じないですね。今も東京には月に4、5回行きますが、福岡は空港も近いので私のような出不精な人でもすぐ出ていけます。重要な打ち合わせ以外は全てオンラインで事足りますしね。これからの時代、時間と場所は本質的には関係なくなると思いますよ。ただ、飲みニケーションだけはオンラインで代用できませんね(笑)。やっぱり一緒に飲みに行くと、一気に距離が縮まるので。

畑村匡章さん

コミュニティが生み出す熱狂をもう一度

――グッドラックスリーにはどういった経緯で入社することになったのですか?

畑村 一つは、事業領域ですね。「インターネット×ゲーム」「ブロックチェーン×ゲーム」など、何かとゲームを掛け合わせるビジネスに興味があったこと。そして、社長の井上とDeNA時代から付き合いがあったことが縁になりました。ちょうど福岡への移住を考えていた時に、井上からブロックチェーン事業にシフトする話を聞き、面白そうだと感じて。移住先で就業するにあたり、前から知った人がいることは大きかったですね。

――畑村さんが得意とするゲーム&コミュニケーションと、これからの発展が期待されるブロックチェーン。この組み合わせに、どんな可能性を感じていますか?

畑村 ブロックチェーンには、インターネットと出会った時と同じ興奮を感じています。インターネットによって速いスピードで技術革新が進み、今やスマートフォンであらゆる情報にアクセスできるようになりました。そして、次なるテクノロジーの波としてブロックチェーンが来ているように思います。この波に乗れば面白いものが見られるんじゃないか。そんな期待を胸に、ブロックチェーンに懸けることにしました。

この分野における最初のキラーコンテンツはゲームになると思っています。「モバゲー」の経験から感じたことですが、ゲームやエンタメから入っていくと広がりやすいですから。社会的にはまだ何だかよく分からないブロックチェーンも、ゲームやメディアなどのエンタメコンテンツとコミュニティを融合させて、もっと身近にしていきたいと思っています。

――興味深いですね。具体的には、どんなことに取り組んでいるのですか?

畑村 ブロックチェーンを活用した新しいエンタテインメントプラットフォーム「RAKUN(ラクン)」を作っています。これはもともと、メディアを支援する報酬システムとして開発していました。従来のメディアは広告収益に頼ったものばかりですが、私たちが目指しているのは、広告ではなくトークン(仮想通貨)でマネタイズできるもの。メディアの運営者、記事の作成者、記事を評価するユーザーに対してトークンによる報酬を付与することによって、広告収益のみに頼らない新しいメディアの運営を試してみたかったんです。

――もう少し詳しく教えてください。

畑村 例えばRAKUNのコミュニティにいるメンバーが記事を書いたり、その記事に対して「いいね!」やコメントをしたりすることで、報酬としてRAKUN内で使えるトークンをもらえます。そのトークンをコンビニなどリアルの世界で使えるようにすれば、人の動きを作り出せます。今はまだRAKUN内でしか使えませんが、いずれはビットコインなど他の仮想通貨と交換できるようにするなど、リアルとバーチャルな世界をつなぐ新たな経済圏を創りたいと思っています。

畑村匡章さん
 
――RAKUNでどんな将来を描いているんでしょうか?

畑村 今は、GAFA※に代表される超巨大企業に収益が集まる仕組みになっていますが、もっとユーザー主権の、ユーザーのための通貨を作りたいという思いがあって。モバゲーの時に感じたコミュニティというものの強さ、その熱狂を、今の時代に合った形で提供したいと思っているんです。理想としては、私たちがRAKUNの仕組みをユーザーに開放し、その後の管理・運営はお任せする。そういう“ユーザー主権の世界”は、ブロックチェーンを活用すれば作れると思っています。
※ガーファ。アメリカ合衆国におけるGoogle、Amazon.com、Facebook、Apple Inc. の4つの主要IT企業の頭文字を取って総称する呼称

――最後に、今後の展望について教えてください。

畑村 まずは成功事例をつくること。そして、新しい事業を作って、ブロックチェーンのいろんな可能性を試してみたいですね。福岡がブロックチェーン領域で日本の最先端を走れるように、邁進していきたいと思います!

 

[プロフィール]
畑村 匡章(はたむら・まさあき)さん
昭和48(1973)年大阪生まれ。同志社大学経済学部卒。平成16(2004)年より株式会社ディー・エヌ・エーに勤務し、平成18(2006)年にモバゲータウンの立ち上げを行う。執行役員としてモバゲータウンを統括した後、平成24(2012)年に株式会社スクウェア・エニックスに入社。オンライン事業部のジェネラルマネージャーなどを歴任。平成29(2017)年に株式会社グッドラックスリーに入社し、福岡へ移住。

アクセスランキング