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更新日: 2021年3月1日

博多港の歴史


■今昔・福博絵図
 17世紀末、元禄時代の福博の古図に現在の地図を重ね合わせたもの。
 現在の百道地区~須崎ふ頭などが見えます。今日の博多港が埋立事業によって、
福岡市の発展に大きく寄与してきたことを物語っています。




博多港が国際港としての役割を担ったのは、奴の国王が後漢の光武帝から金印「漢委奴国王」を受けた1世紀半ばが起源といえるでしょう。
その後の国際交流拠点としての発展は、博多港がかつて那の津と呼ばれていた遣唐使の時代、外国使節の応接の場と宿泊所を兼ねた鴻臚館とよばれる迎賓館が設置されたことからも垣間見れます。
博多の街は、戦国時代の戦火による荒廃や、豊臣秀吉の太閤町割りによる復興、江戸時代の鎖国に伴う衰退など歴史的な潮流に翻弄され、幾多の栄枯盛衰を繰り返してきました。
近代の幕開けとともに、博多港は明治22年に特別輸出港、明治32年に開港の指定を受け、再び海の窓口を世界に開きました。 さらに、昭和26年には重要指定港湾、平成2年には特定重要港湾、平成23年には日本海側拠点港湾の指定を受けるなど、今日の近代的貿易港として発展してきたのです。






1世紀 金印が物語る中国との交流

博多が「奴国」と呼ばれていた西暦57年、後漢の皇帝から金印が送られました。この頃すでに中国大陸と交流があったことがわかります。
志賀島で発見された金印は、現在福岡市博物館に所蔵されています。印面には「漢の委の奴の国王」と刻まれており、つまみはヘビがとぐろを巻いた形をしています。1辺が2.34センチメートルと小さなものですが、日本の歴史のなかで大きな意味を持っています。


 

金印(福岡市博物館所蔵)
『福岡市博物館常設展示案内』より転載
著作権保持者に無断での転載・二次使用を禁じます



6~11世紀 鴻臚館 大陸との交流

6世紀頃には、「奴」は「那の津」と呼び名を変え、大和朝廷の外港に位置づけられています。
「博多」の呼び名が初めて登場するのは「続日本紀」。当時の博多は九州統一や外国との交流窓口として重要な役割を果たしていました。
8世紀頃には博多から遣隋・遣唐使が船出をし、海外からも人が訪れ書物や薬などが運ばれてきました。9世紀から11世紀には、いまの福岡城跡に設けられた外国人接待用の客館「鴻臚館」が海外との交流拠点となりました。
11世紀の終わりごろから、博多にはのちに「大唐街」とよばれる中国人街が形成されました。当時の対外貿易・交渉の窓口であった博多には、この太い貿易上のパイプを通じて、中国文化がたくさん入ってきました。


調査中の鴻臚館




12~15世紀 元寇と大商人の登場

12世紀頃には平氏が博多に進出し、博多は我が国を代表する対宋貿易の拠点として繁栄しました。
12世紀から13世紀にかけて、初めてお茶やまんじゅうが博多に伝来。うどんを伝えたのも、この頃宋から博多に帰ってきた聖一国師という僧です。
元寇(文永の役)で博多の町も被害を被り、商船の往来は一時途絶えましたが、その後和交し日元貿易は復活。
室町時代に入ると交通や経済が発展し、戦国時代には戦を契機に商工業が発展。明などとの貿易も盛んになり、豪商と呼ばれる大商人が登場してきます。


 

聖一国師が建立した承天寺 と 元寇防塁跡



16~19世紀 博多商人の全盛期

時代が戦乱の世の中から天下統一へと大きく変貌を遂げようとしていた頃、当時の博多は、明・朝鮮などとの交易で大いに栄えていました。しかし、巨万の富が集まる博多は、戦国武将たちの争奪の的となり、幾度となく戦乱に巻き込まれました。
博多の街は焦土と化し、多くの人々が戦を避け周辺に離散していきました。この後、荒廃した博多を復興したのが豊臣秀吉です。「太閤町割り」と呼ばれる都市計画を進め、博多の街を発展させました。
江戸時代は、一般的には海外との貿易が禁じられていました。その一方、日本国内では海上輸送が大きく発展し、博多では「五ヶ浦廻船」と呼ばれる船で日本各地を駆け巡って米や木材などを運び、国内での貿易を盛んに行っていたようです。


博多三傑

16世紀に活躍した豪商に「博多三傑」と言われた嶋井宗室(しまいそうしつ)・神屋宗湛(かみやそうたん)・大賀宗九(おおが そうく)の3人がいます。宗室と宗湛は秀吉の太閤町割りを助け、茶道などの文化を広める役割を果たしました。また宗九は黒田藩の御用商人として、藩と博多のまちの発展のために力を尽くしました。


 

嶋井宗室、神屋宗湛
『福岡市博物館常設展示案内』より転載
著作権保持者に無断での転載・二次使用を禁じます



19世紀~現在 開港から今日まで

1899年に博多港は開港指定され、国際貿易港としてスタート。明治時代中頃には全長360m幅7.2mの大きな木造桟橋が完成し、昭和の初めには中央ふ頭の岸壁や防波堤も整備されました。戦後、博多港は海外引き揚げ援護港に指定され、139万人の海外引き揚げ者を迎え入れるとともに50万人が出国しました。
1951年に重要港湾に指定され、近代港湾に向けた整備が本格化していきました。
1990年には特定重要港湾に昇格し、1993年に博多港国際ターミナル、2015年に中央ふ頭クルーズセンターが供用開始するなど、物流、人流ともに世界を結ぶ拠点港として躍進しています。
開港後100年以上を経た今日も、博多港はアジア・世界をつなぐ国際港として、ますます発展しています。


  

開港当時の博多港 と 博多港にあふれる引揚者たち(米国立公文書館所蔵)



現在の博多港(令和元年度撮影)