社会貢献で売上43億円超! 「ボーダレス・ジャパン」の特異なビジネスと経営手法とは

「ソーシャルビジネスで世界を変える」。そんな目標を正面から掲げ、平成19(2007)年に東京で創業した株式会社ボーダレス・ジャパン。今や世界8か国で20もの事業を展開し、売上高43億5,000万円、従業員961人(ともに平成29年度末)のグループへと成長しています。社会課題の解決とビジネスの両立は困難を極める中で、なぜ同社は快進撃を続けられるのか。福岡市出身で、6年前福岡にUターンしてきた創業者の田口一成代表に、これまでの歩みと着想の原点、オリジナルのビジネスモデルまでじっくり伺いました。

変えるべき社会の現状から考える

―「社会にとって、いい仕事をしたい」。ビジネスマンなら誰もが思うことかもしれませんが、実現は容易ではありません。その中で御社は、社会貢献ビジネスだけでしっかりと売上を立てている。どうしてこのようなビジネスモデルを確立できるのでしょうか。

田口 僕らのビジネスの作り方は、一般的なものとは大きく異なります。一般的なビジネスは、マーケットに合わせた事業をやるために、ビジネスモデルを書く。だけど、僕らは社会を変えるために事業をやっていて、そのためにビジネスモデルを考えます。僕らが最初に取り組むのは、どんな社会にしたいかという、ソーシャルコンセプトを考えること。まず「現状」として誰にどんな課題があるか、次にこうなりたいという「理想像」を描く。そのための「HOW」としてソリューションを考える。 

―ビジネスありきではなく、社会の側から考えると。

田口 その通りです。この「HOW」を具体的に落としたものが、ビジネスコンセプトになります。ここで「商品・サービス」「顧客ターゲットと課題」「価格・販売チャネル・認知方法」などを順番に考えていきます。大事なのは、社会をどう変えたいかというビジョン。これを強く持たなければ、続きませんから。逆に、どうビジネスを回していくかの手法は、変えてもいい。むしろ時代に合わせて、変化していくべきです。

―具体的には、これまでどんなビジネスを立ち上げてきたんでしょうか?

田口 平成18(2006)年にシェアハウスの事業を立ち上げたのが最初です。留学生などの外国人が日本で部屋を借りられなくて困っていると知り、外国人と日本人が一緒に暮らすシェアハウスを始めました。しかし、シェアハウス事業だけで社員に給料を払っていくためには、計算してみると20軒のシェアハウスが必要で、4,000~5,000万円もの初期投資がいる。そこは全て借り入れ、自分の親や親戚、社員の親、先輩、先輩の親などあらゆるところから貸してもらい、どうにか20物件を作りました。そうして黒字化してお金を返し、さらに物件を増やしていった。今は3か国に全127物件(平成29年度末)があります。そしてメドが立った段階で他のメンバーに任せ、2つ目の事業を立ち上げました。

―次は何でしょう。

田口 貧困問題に直結した事業として立ち上げたのが、ハーブティの事業です。ミャンマーの貧しい農家にハーブを作ってもらい、それを直接買い取ることでサポートする。世の中は需給バランスによるマーケットトレードが主で、小さな土地しかない農家はマーケットの変動に大きく影響を受け、かつ永遠に貧困状態から抜け出せない。だから僕らは、農家が家族で暮らしていける価格でハーブを買い取る、いわゆるファーマーズプライスによるコミュニティトレードを取り入れました。

―しかし、市場価格より高く買い取れば、商品も高くならざるをえないはずです。

田口 そうなんです。商社には高くて売れないので、自分たちでブランドを立ち上げるしかない。しかも、「貧しい人を助けるためにハーブティを買ってください」ではダメで、素直にモノで勝たなければいけない。市場のボリュームがある程度あって、人が買いたい、買い続けたいモデルを探りました。ハーブティを飲んでいる友人に話を聞いてみると、彼女は産後で、妊娠中や授乳中はカフェインを避けるためハーブをブレンドして飲んでいるという。ちょうど産後だった僕の奥さんに聞いてみても同意見で、調べてみると、産前産後は飲み物に困るという声が多いことや、日本人のママの6割は母乳が出にくく、それを薬などは使わずナチュラルにケアしたいと思っていることがわかりました。そこで、イギリスのメディカルハーバリストと日本の助産師さんに協力してもらって商品開発をし、試飲テストを繰り返し、平成22(2010)年に商品化してリリースしました。ネットや産婦人科経由で広まり、「楽天ショップ・オブ・ザ・イヤー2014」に輝くなど、多くの人に支持される商品になりました。

(写真)代表の田口一成さん

世界の誰も解決できないなら、自分がやろう

―そこまで徹底的に、ソーシャルビジネスにこだわる理由は何なのでしょうか?

田口 資本主義は、効率を追求する世界。結果として人も場所も効率の悪いところが取り残され、社会課題になっていきます。ソーシャルビジネスは、その非効率も含めて再構築するビジネス。だからやりがいを感じたんです。きっかけは、大学2年生のとき、たまたまテレビで見たドキュメンタリー映画でした。貧しい子どもたちのお腹が栄養失調でポッコリ出ている姿に、衝撃を受けたんです。世界の貧困問題は、世界中の人が長年取り組んでいながら、未だに解決できない問題。それほど困難なら、自分の人生をかけてみる価値がある。若かった僕は、「相手に不足なしだ」と思ったんです。

―それからすぐに起業されたんですか?

田口 最初は貧困問題を扱うNGOに行ったんですが、「NGOは寄付者の意向に大きく左右される。本当に解決したいなら、お金からコントールできる人間になりなさい」と言われて、そこからビジネスの世界を学ぼうと思い、アメリカに留学しました。日本に帰ってからは3年間と区切って機械加工製品などを扱う株式会社ミスミに就職。医療系の事業開発を担当し、海外の会社と日本での独占契約を結んで売上も作って、自信もできたので、結局2年で退社して。25歳で会社を作り、自宅の一室をオフィスにして、始めました。当時は、商売は何でもいいから、とにかく売上の1%を社会貢献活動に寄付するというルールでやっていました。創業期は1年間365日24時間、休みなくめちゃくちゃ働いたんですが、3,000万円稼いでも寄付できるのはわずか30万円。それで何かが変わるだろうか、自分は何やってるんだろうと、むなしくなってきて。やはり社会貢献そのもので稼ぎを作らないと意味がないんだとわかりました。そこから、シェアハウスの事業を始めて、だんだんと軌道に乗っていきました。

(写真)代表の田口一成さん

吉本興業からヒントを得た、起業家養成アカデミー

―現在は、ソーシャルビジネスごとに、それぞれの事業が分社独立しているんですね。

田口 ええ。僕としては、売上1兆円の会社をひとつ作るんじゃなくて、売上10億円の事業体を1,000作るほうが、いろんな社会課題にズバッと刺さり、社会を変えていきやすいと考えたんです。現在ある20社はすべて独立経営ですが、余剰利益が出たら、みんなグループ共通のお財布に入れておきます。新たな事業を起こそうとする人はそのお金を利用できて、そのかわり黒字になったら余剰利益は共通のお財布に入れる。こうして“恩送り”をしながら、仲間をどんどん増やしていくというのが、ボーダレスのやり方です。僕は、バックオフィス部門にいながら、すべての事業の相談役として控えています。

―東京で事業が順調に拡大する中、福岡に戻って来られたのはなぜなんでしょう?

田口 32歳の時、子育て環境のことも考えて、故郷である福岡に帰りました。創業者なのに福岡に帰りますなんて、簡単には言えなかったけど、東京のみんなが「こっちは大丈夫」と言ってくれて、ありがたかったですね。それで九州出身の2人を連れて、3人で福岡の拠点を立ち上げたんです。東京のメンバーに、田口が福岡に移ってよかったと思ってもらえるように、ものすごく頑張りましたね。

―平成30年10月には、東京と福岡でボーダレスアカデミーを始動されました。

田口 僕らは社会起業家を増やすことで社会を変えようと頑張ってきたけど、うちの会社に入ってくる人だけでは足りない。そこで、社会起業家を養成する場所を作ろうと、アカデミーを立ち上げました。吉本興業の芸人養成所NSCから着想を得たんです。NSCができたことで、芸人を目指す人や、実際に芸人になる人が増えたでしょ? だから、まずは母数を増やすことが大事だと。ソーシャルコンセプトやビジネスの作り方を5か月かけて学び、自信がつけば起業すればいいし、しなくてもいい。卒業後6か月以内に起業したら、授業料は全額返金。一定の審査を経てボーダレスで起業したり、金融機関やスポンサーを紹介するといったサポート体制もあります。アカデミー単体として儲けはありませんが、これで社会起業家の数を増やせたらというつもりでやっています。

―お話を伺っていると、田口さんには揺るぎない信念があり、だからこそ決断もスピーディなのでしょう。何を基準に、物事を判断されているんでしょうか?

田口 僕の合言葉は「清廉潔白」「動機善なりや」。私利私欲ではなく、みんなのための決断か、みんなのための取り組みか。そうであれば、結果はどうなっても、全てナイストライだと思っています。

―普通の人はやりたくてもやれないと思うことを、田口さんはまっすぐに開拓されてきた。自分もやればできるのかもしれないという、明るい希望を感じました。

田口 若い頃からいろんな国の状況を見てきて、日本は本当に恵まれた国だなと思ってるんですよ。どん底まで失敗したとしても、コンビニで働いてもう一回やり直せばいいって思ってやってきました。こんなに安心していられる国なんだから、チャレンジしないのはもったいない。世界には、チャレンジする機会すらない人がいっぱいいるんです。だから僕らは、いつまでもチャレンジし続けたいですね。

(写真)代表の田口一成さん

 

【プロフィール】
田口一成(たぐち・かずなり)
昭和55(1980)年福岡市生まれ、西南学院高校卒業。早稲田大学在学中に休学し、ワシントン大学留学。帰国後、平成16(2004)年に早稲田大学商学部を卒業、株式会社ミスミ入社。翌年、前身となる有限会社ボーダーレス・ジャパンを創業し、平成19(2007)年に株式会社ボーダレス・ジャパンを設立、代表取締役社長に就任。平成24(2012)年に福岡オフィスを開設。

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