世界的建築家・重松象平氏が、福岡・天神の再開発ビルで示したビジョンとは!?

国家戦略特区による航空法の高さ制限緩和で、現状より最大39mも高いビルが建てられるようになった福岡市。2024年までに、老朽化した民間ビルの建て替えを促す「天神ビッグバン」計画が進んでいます。

その第一号となるのは、福岡市中央区天神一丁目、文字通り天神のど真ん中に建設予定の「天神ビジネスセンター」。今年から着工され、2020年度に竣工予定です。設計を手掛けたのは、国際的建築設計集団OMA(Office for Metropolitan Architecture)のニューヨーク事務所代表を務める重松象平さん。福岡出身の44歳で、日本の建築界のホープでもあります。#FUKUOKA編集部は、2017年11月13日、株式会社福岡リアルティ主催による「第10回不動産・金融経済交流会」での講演のために来日した重松氏にコンタクト。これまで本人の口からあまり語られることのなかった天神ビジネスセンターの全貌と、世界的建築家から見た福岡の街の優位性について、お話を伺いました。

 

——まず、天神ビジネスセンターの設計を依頼されることになった経緯を教えてもらえますか?
重松 実はユニークないきさつがあります。かつてバブル期に、福岡地所が福岡市東区の香椎浜に集合住宅を設計する「ネクサスワールド」というプロジェクトがありました。磯崎新さんのコーディネートにより国内外から6名の建築家が集められ、僕の師であるレム・コールハース/OMAも加わって、そのうちの一棟を設計しました。ちなみにこれが、レム・コールハース/OMAの日本でただひとつの建築です。そして時は流れ、今回の天神ビジネスセンターの話が浮上した時に、国際コンペを開催することになり、福岡地所の方がニューヨークにいる僕にも声をかけてくれました。建築は信用商売ですし、経験が重視される世界なので、僕のような若造よりも大御所の先生方が選ばれる可能性は大きかったんですが、縁に導かれコンペに勝つことができました。福岡地所の現社長は、ネクサスワールドを主導した当時の社長の息子さんで僕とは同年代ですし、福岡市長も同じ世代。若い世代にチャンスが与えられるのは、福岡の街のオープンさを象徴しているようにも感じて、嬉しかったですね。

——重松さんは、ハーバード大学デザイン大学院で「食のデザイン」をテーマにスタジオを開設したりと、従来の建築家の枠に捉われない活動をされていますが、どのような問題意識があるのでしょうか。
重松 僕らの世代の建築家は、世界中にばらまかれたモダニズム建築をいかにして乗り越え、新しい時代の建築を提示していくかという問題意識から出発しています。その手がかりを自分なりに追求した結果、「食」というテーマが浮上してきたんです。衣食住を考えてみると、衣と住は国際化の波に揉まれて、あっという間に均一化してしまいました。いまや世界中に似たような建築があり、似たようなものを着ている人がいます。しかし「食」は、土壌や気候といった条件のもとで生まれ、現代でも地域性が保たれています。ワインなどでいうところの、テロワール文化ですね。建築という産業が社会から孤立せずに、地域の課題を解決していくためには、「食」というレンズを通して都市を見てみることが有効なんじゃないか。それが表層的ではない、その地域ならではの建築の在り方のお手本になるのではと思っています。

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——福岡もまた「食」が豊かだと言われる街です。重松さんご自身も福岡ご出身ですが、福岡の街やその地理的特徴をどのように捉えているんでしょうか?
重松 これは世界の都市に共通して言えることですが、国境にある都市は多様性に満ちていて、他の都市と差別化できる特徴を多く持っています。日本は島国なので、国境を意識する機会は少ないですが、福岡は日本の中でも極めて国境に近い都市です。それが、街の多様性を生んでいるのは間違いないでしょうね。僕が九州大学工学部建築学科の学生だった頃から、すでに福岡は国際色豊かな都市だと感じていました。食をはじめとしたさまざまな文化に、コスモポリタン的な特徴が現れていると思います。

——「福岡が国境に近い都市」だという捉え方は新鮮に感じます。今回の天神ビジネスセンターの場合は、どのようにデザインを進めていったのでしょうか?
重松 僕のデザインの考え方は、リサーチを通して見えてきた場所の特殊性を見つめて、そこからコンセプトを導き出すことです。今回で言えば、明治通りと因幡町通りという、全く性格の異なるふたつの通りに注目しました。明治通り側の「ビジネス街一丁目一番地」といった趣を保ちつつ、アジア的な小道である因幡町通りへどのように人を誘うか。ヒューマンスケールの違いを、いかに違和感なくつなげるか。最終的には、角を削り、四角く閉じられたオフィスビルから氷が溶けていくように、内部があらわになるデザインにしました。

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(左上方向に伸びる明治通りと、右上方向に伸びて市役所広場へとつながる因幡町通りをシームレスにつなぐ)

——特に留意した点について教えてください。
重松 洗礼された国際都市に建つビルとして、時流に左右されない落ち着いたデザインであること。かつ、世界中の人を誘致できるようなエキサイトメントがあることを意識しました。故郷の街に建てる僕の初めての建築でもあり、インパクトのあるものを残したいという気持ちもよぎりましたが、天神のオフィス街の顔になるビルですから、奇をてらったものは避けました。故郷だからこそ、逆に奇抜さは抑える方向に意識が働いたかもしれません。街の品格を保てるようなものを心がけましたね。

——今後、天神ビジネスセンターに続く天神ビッグバンが、福岡の街をどのように変えていくべきだとお考えですか?
重松 天神の街の魅力は、地元の大企業や銀行などによって整備された建物とインフラがある一方で、屋台が並ぶようなアジア的な小道に人が行き交うという、異なるスケールの共存にあると思います。航空法の規制緩和によってビルの容積が上がるわけですが、そこでデベロッパーが利益を優先して考え、容積いっぱいのオフィスビルばかりが並んでしまうと、せっかくのアジア的な小道が軽視され、街の魅力や活力も半減してしまうのではないでしょうか。例えば福岡には「セントラルパーク構想」のような、公園やパブリックスペースを大事にするという素晴らしいグランドビジョンが示されていますね。であれば、オフィスビルの容積を少し削ってでも公共空間を増やすなどして、ビジョンに従った街づくりに皆がコミットできるようになるといいと思います。さまざまな人が、さまざまな形で居られる、多様性のある街を作ること。それが、コスモポリタン的な都市・福岡の、福岡らしい在り方なんじゃないかと、考えています。

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【プロフィール】
重松象平(しげまつ・しょうへい)さん
昭和48(1973)年、福岡県久留米出身。10歳の頃にボストンで1年間を過ごし、計画された街並みに感動したことから、建築家を志す。平成8(1996)年、九州大学工学部建築学科卒業。卒業後はオランダへ留学し、レム・コールハースに出会う。平成10(1998)年よりOMAに所属し、平成18(2006)年よりOMAニューヨーク事務所代表を務める。主な作品に、中国中央電視台(CCTV)新社屋、コーネル大学建築芸術学部新校舎、 コーチ表参道フラッグシップストア、ケベック国立新美術館新館等。現在は、シリコンバレーにある米Facebook社の新キャンパスマスタープランおよび次世代オフィスのデザイン、カナダ・トロントの新副都心などを手がける。またハーバード大学デザイン学部大学院の客員教授も務めている。

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