唐人町商店街連合会の皆さんと高島市長が、「これからの商店街」をテーマに意見交換を行いました。
唐人町商店街は、今から400年前に、福岡藩や佐賀藩が参勤交代のために使った唐津街道を行き交う人たちに商売を行っていた町家が集まったのが起源です。また、現在の唐人町プラザ甘棠館が立っている場所は1784年に福岡藩が藩士教育のため初代館長を亀井南冥として、藩校西学問所「甘棠館」を開設した場所でもあります。
唐人町商店街連合会は、こうした歴史的背景を活かしつつ、納涼夜市や演劇、コンサートなど、各種イベントの開催を通じて集客力の向上に積極的に取り組んでいます。
※「町家」とは、江戸時代に町人が居住した区画地にある、商人・職人などの住まいの総称です。
唐人町商店街は、「昔ながら」を大切にしながら「新しいもの」を受け入れる商店街。八百屋、魚屋、精肉店などの生鮮店のほか、総菜店、和菓子、パン屋、雑貨店、文房具店など身近な品を扱った店舗は勿論、居酒屋やレストラン、庶民派食堂など幅広いラインナップの飲食店も立ち並んでいます。
当日は唐人町商店街連合会仲谷副理事にご案内いただき、市長が直接、お店の方々からお話を伺いました。
(コロナ禍を経て連合会設立まで)
仲谷副理事
唐人町商店街連合会にとっては、ここ数年が大変でしたね。コロナ禍によって小学校が休校になったり、やっぱり第一波の時は本当にどうなるかわからなかったですね。
市長
本当にコロナ禍はこんなことになるとは思わなかったですよね。商店街は人が集まってなんぼですけど、コロナ禍はどんな状況でしたか。
仲谷副理事
第一波の時は、閑散どころじゃなかったですね。それに実は一昨年の末、「商店街振興組合」が破産してしまって。それが新聞記事となって、商店街が駄目になったんじゃないか、各個店が駄目になったんじゃないかと色々と心配の声が集まって。そこで、新しい連合会を急遽、去年の4月に立ち上げました。やっぱりそれを治めてもらうのは木立さん(現:唐人町商店街連合会代表理事)しかいないと。もう勢いで連合会を立ち上げて、納涼夜市をやって、ちゃんこ祭りをやって。ちょうどプレミアム商品券のお話もいただいたので、まずそれにのっかってみようと。
市長
そうなんですね。福岡市って若い人がスタートアップ(創業)してるんですよね。例えば、お金を出してお店に新しい機械を導入しなくても、個人携帯のアプリを使ってお買い物した人にポイントをあげたり、商店街側から情報発信したり、そういった仕組みを作ってるスタートアップ企業もいて。機械の導入などのハード整備は初期投資がかかるけど、アプリなどを使えばランニングコストだけでいいので。そういった企業を皆さんと繋げていくことによって課題解決をしていくとか。
仲谷副理事
商店街もデジタル化に対応をしていくべきですし、ご高齢の店舗の方が理解できるように説明できる人材とか、ぜひお願いできればいいなと思うことが多々ありますね。
市長
連合会から商店街の方のニーズを吸い上げてもらって、それを解決できそうなスタートアップ企業を市側でピックアップし、マッチングしていく。スタートアップ企業に説明会を開いてもらってもいいし、もしくは、商店街の皆さんに「必要に応じてマッチングします」と広告してもらったりそういった事業ができたらいいなって思います。
(唐人町商店街の由来について)
市長
あと1つだけ聞きたかったのが、唐人町商店街という名前やっぱり「唐の人」って書くし、福岡城があるということで、当然ここは歴史があってということだと思うんですが、唐人町商店街って名前になった由来は。
木立代表理事
慶長の関ヶ原の戦いが終わって何年目かくらいに黒田藩が入ってきて福岡城作りを始めたんですね。西公園の向こうの荒戸地区がほとんど海だったから全部土を盛って埋めて。唐人町の由来は昔のことだから詳細は分からないですけど、唐船が流れてきたんですよ。江戸時代は唐の時代(中国の時代)が先進国やったんでね。明治になると、次第に唐人っていう名前は使わなくなったわけです。だから論語の一節である「仁に当たりては師にも譲らず」から「当仁」に。
市長
唐人(とうじん)町、当仁(とうにん)小学校とか、私もいまだに、んって。
木立代表理事
小学校は当仁(とうにん)小学校、終戦後の漢字読みを使うと南当仁(みなみとうじん)小学校
※唐人町の名前の由来については諸説あります。
(歴史、観光、アート、更なる賑わいの創出へ)
仲谷副理事
コロナ禍で事業再構築補助金を活用して、倉庫の一部を買ってスタジオにしたんですね。劇団で役者はいる、作家はいる、演出家はいる、スタッフもいるので、ここだけで終わってしまうのは何かもったいなくて。
市長
ばっちりですね。ここで録音もできて。
仲谷副理事
ここでラジオなどの音声コンテンツは作れるし、ブルーバックですぐ配信できるっていう環境が整って。一番最初にやったのが納涼夜市。たくさんの人が来てくれて嬉しかったですね。市長がおっしゃったようにやっぱり個々の個性を今から見つけていかなきゃいけない。まず一番にいえることは、唐人町商店街は地下鉄が近い、PayPayドームが近いという立地の良さ。もう少し我々が形にしていきたいなって。
市長
新天町商店街は町のど真ん中にあるし、櫛田神社の近くには川端商店街とか。どんな個性、他にはない個性で存在感を引き出せるかですよね。
仲谷副理事
私たちも劇団で芸術活動やっているので、例えば、商店街内のオブジェを作るとかそういったことで若いアーティストに場所を提供したりとか。
市長
確か、またギャラリーができましたよね。KYNEさんが最初にやっていた場所もあるし。親和性というか集積がありますよね。
仲谷副理事
東京オリンピック・パラリンピックの公式マスコットキャラクターデザイナーの谷口氏も唐人町商店街オリジナルキャラクター「からりん」を手掛けてくれたり、応援いただいてます。歴史で言うと、「唐人町プラザ甘棠館」は、江戸時代「甘棠館」という学問所があった場所だったんですよね。甘棠館の初代館長である亀井南冥が志賀島の金印の価値を見出して、現在も金印が残ってるんです。江戸時代には当時、甘棠館と修猷館と二つの違う学問所があって、甘棠館は15年くらいで焼失して修猷館に統合されていくんです。そういった甘棠館の物語を僕らは芝居にしたり。すぐそこには、中野正剛の銅像があったり、平野国臣の平野神社があったり、また、ヤクルト発祥の地であるなど。歴史と観光、アートっていうのを表に出していけるように取り組んでいきたいと思っています。特に若い人がたくさん来てくれると繋がってくるんですよね。
市長
歴史と若い人の間の「接着」のために、もう1個何かあるといいかなと思って。直でここのコンテンツにいかないと思うんですよね。だからもう一発、若い人が食いつくコンテンツが挟まってくるといいかなと思いますね。
仲谷副理事
そういう意味ではちょっと期待しているのが配信ですね。だいぶインバウンドで韓国のお客さんが戻ってきているので、こんな商店街があるんだよっていう配信を多言語で、ちょっと本気でやってみたいと思いまして。
市長
空いてる店舗ってどれぐらいあるんですか。
仲谷副理事
現在、空いている店舗が2店舗程あるんですけど、次に入る人が決まっていて。空き店舗の利用とかも考えるんですけど、おかげで空きがないんですよ。だからやっぱり商店街の魅力と市長がおっしゃった、どう接着していくかですね。
市長
普段使いとしては便利な商店街だと思うんですよね。わざわざ来るってなったら、まさに劇場のような個性ですよね。
仲谷副理事
今後、計画しているのが福岡オーガニックマルシェさんと提携して、商店街の店舗の前でマルシェをやろうとしてるんですよね。土曜日に半分ぐらいの店舗が閉まっているから、その前をどうぞお使いくださいと。
市長
商店街やお店が協力してくれるんだったらいいですよね。
仲谷副理事
ステージイベントや子供たちの絵を商店街中にはって「ごみゼロお絵かきコンテスト」みたいなことをやって。
市長
それは大人が来ますよね。商店街全部をイベント会場として使ったり、そういうことが可能になったらすごく素敵ですよね。例えば、国家戦略特区を活用して公道である川端商店街をMICE(国際会議)が終わった後の懇親会会場にしたんですよね。特に唐人町商店街が恵まれてるのはアーケードがあるので天気関係なくできますからね。そんなことも面白いかなと思うので、ぜひ、色々な制度を活用していただいて。
仲谷副理事
ありがとうございます。収穫がすごい。
市長
発信力のある方が商店街にいるのはやっぱり強いですよね。自ら発信できる力を持ってる方がいないことが課題な商店街もありますよね。
仲谷副理事
やるしかないなと思ってます。本日はありがとうございます。
市長
ありがとうございました。