当地区は、東部地域から都心への玄関口として商業・娯楽を中心に栄えてきました。
しかし、昭和30年代から福岡市の住宅地が西南部に広がり、商業・業務機能が天神地区や博多駅地区に集中し、千代地区の衰退を促し、さらにエネルギー革命が産炭地につながる当地区の衰退に拍車をかけました。
また、当地区は戦災を免れた地区であり、狭少な敷地に老朽化木造家屋が密集し、交通の過密遅滞であり、居住環境の悪化や防災上の問題が生じていました。
近くに県庁が移転し前面道路に地下鉄千代県庁口駅が建設されることとなり、地域の土地の利用状況に変化をきたすことになりましたが、戦災を免れた老朽家屋が密集した地区であり、変化の対応が困難であり地元から再開発の機運が起こりました。施設建築物は、業務施設を中心とする高層部と商業・コミュニティー施設を中心とする低層部からなります。高層部は敷地北側の幹線街路東公園線に面し、都心部から連なるTモール(緑の遊歩道)上の東端として千代の顔づくりをし、印象的な建物となっています。低層部は敷地南側にまでおよび、生活道路に面し、地域に密着したヒューマンスケールに合った建物となっています。また、地下鉄2号線千代県庁口駅の乗降出入口を敷地内に取りこみ、地下1階で再開発ビルと接続されます。
建物外観
事業区域図
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所在地 | 福岡市博多区千代1丁目・2丁目及び東公園の一部 |
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施工者 | 福岡市 |
区域面積 | 約1.26ヘクタール |
権利者数 | 土地・建物所有者:71名 借家人:64名 計:135名 |
年時 | 経緯 |
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昭和53年度 | 現状調査・基本計画作成 |
昭和54年度 | 事業計画(案)作成 |
昭和55年度 | 再開発推進について地元意向集約 |
昭和55年12月 | 千代地区再開発推進連絡協議会発足(12月20日) |
昭和56年8月 | 都市計画決定(ホテル案)(8月20日) |
昭和57年4月 | 事業計画及び調査、国庫補助事業採択 |
昭和58年度 | 事業計画の策定、施設建築物基本設計、既存建築物調査、資金計画作成 |
昭和59年5月 | キーテナント決定(西部ガス)(5月15日) |
昭和59年9月 | 都市計画変更決定(ホテル→業務施設)(9月1日) |
昭和60年3月 | 事業計画認可(3月28日) |
昭和60年6月 | 評価基準日(6月15日) |
昭和60年12月 | 権利変換計画決定公告(12月18日) |
昭和60年12月 | 権利変換期日(12月25日) |
昭和61年1月 | 大店法3条届出 |
昭和61年3月 | 建築工事着工 |
昭和63年3月 | 大店法5条完了 |
昭和63年7月 | 建築工事完了 |
昭和63年8月 | 竣工式(パピヨン24オープン)(8月25日) |
昭和63年9月 | 事業完了 |
敷地面積 | 約6,144平方メートル |
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建築面積 | 約3,999平方メートル |
延べ床面積 | 約35,560平方メートル |
構造 | 鉄骨鉄筋コンクリート造 地上11階 地下3階建 塔屋2階付 |
主用途 | 商業施設・業務施設・駐車場 |
駐車場 | 約100台 |
名称 | 幅員 | 延長 |
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計画道路 千代大手門船 | 25m | 約80m |
計画道路 千代粕屋線 | 25m | 約60m |
計画道路 東公園 | 25m | 約135m |
区画道路 1号線 | 12m | 約100m |
区画道路 2号線 | 8m | 約80m |
建築断面図
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総事業費 約113億円