九州男児が海の向こうから見つけた、福岡とバンクーバーの意外な共通点

経営者やクリエイター、芸能人、スポーツ選手など、あらゆる分野で活躍する福岡出身者。中には海外で“福岡スピリット”を発揮し、活動している人たちもいます。

今回、お話をお聞きしたのは、福岡から遠く離れた北米の地、カナダ・バンクーバーで広告マーケティング会社のCK Marketing Solutions Inc.を経営する長(ちょう)勝博さんです。現地ではバンクーバーの福岡県人会の役員も担っていらっしゃるという長さん。海外から見る福岡とは、一体どのような場所なのでしょうか? 長さんにお聞きする中で、福岡とバンクーバーの意外な共通点が見えてきました。

海外に行こうと思ったきっかけは「なんだかかっこよかったから」

――就職されるまで福岡にいらっしゃったとお聞きしましたが、学生時代はどのように過ごされていたのでしょうか?

長 僕の父は高校を出てから大阪の製薬会社に入り、そこでゴリゴリの営業職として働いていたのですが、その後福岡に戻ってきて実家の米屋を継いだんです。当時、米屋と言えば「○○米穀店」なんて看板を掲げた、ただ米を売るだけの店だったんですが、父はそのスタイルが嫌だったんでしょうね。社名から原価構造までそれまでの仕組みをガラッと変えて、地元のスーパーに販路を拡大するなどし、サラリーマン時代の営業スキルを発揮しながら実家の“改革”に乗り出していきました。結果、米穀店は成功し、僕も知らずしらずにそういうビジネススキルを学んでいたのかもしれません。しかしその反面、「営業職にはなりたくない」と思っていたんです。小さいころから付き合わされていた“接待ゴルフ”より、モノづくりに興味がありましたからね。青春時代は車やバイクが大好きな少年で、高校も地元の高専の機械科に入学。そして、卒業後はエンジニアとして富士通に入社しました。

――念願のモノづくりの部署に配属されたのですね。

長 そうですね。でもエンジニアといえど、僕が担当したのは修理の部門でした。本当は研究して何かを開発する人になりたかったのですが、高専時代遊びほうけていたからか、いかんせん学びがない(笑)。でも、やりたいことがあるのにできないのは悔しかったので、そこから独学で勉強して、ネットワークエンジニアの仕事をさせてもらえるようになったんです。入社4年目、僕が25歳の頃には父の影響もあってか「独立したいなぁ」と思っていたんですが、父から「今は会社の看板があって仕事をもらえているだけ。調子に乗るな」と叱責されまして……。そこで、いずれ起業することを見越してモノづくり以外の仕事もやっておきたいと思い、また社内から誘いをうけていたこともあり営業に転身したんです。

――海外に行こうと思ったのは、営業職時代のお仕事がきっかけだったのでしょうか?

長 いいえ、実はそういう訳ではないんです。とても単純な話ですが、営業の仕事をしていたある日、携帯電話片手に英語で仕事をしている人を見かけたら「カッコいい!」と一目ぼれしてしまって。もうその時から「自分も海外で、英語でバリバリ仕事をするぞ!」という姿ばかりを思い浮かべて、30歳までには海外に行こうという目標を立てたんです。すると、その時ちょうど運よく会社から海外を担当する営業部への転属の話をもらったんですよ。しかし、その部署は社内でもとびきり有名な、とてもハードな部署。一晩悩んだ挙句、またも父に相談したところ「苦労は買ってでもしろ!!」と(笑)。で、飛び込んだはいいのですが、僕は当時、英語もままならない状態。そんなことお構いなく、早速、インドネシア、シンガポールなどのプロジェクトに放り込まれました。会社に行くと、隣はブルガリア人、中国からの帰国子女、フランス帰りというとんでもない環境。確かに、それまでの自信はへし折られましたし、苦労も多かった。ですが、その時に海外の人とビジネスすることの面白さを実感して「やっぱり、海外だ」と確信しました。

――そうして、ご自身でビジネスがしたいと考えるようになった、と。

長 そうなんです。僕には姉がいて、彼女は以前カナダに行っていたことがあったので現地の知り合いもいましたし、そのツテで僕も同じバンクーバーに行くことにしました。でも、ただ現地の英語学校に行ってちょっと英語がしゃべれるようになるだけではもったいない。ですから、昼間は就職活動、夜中はダウンタウンのコーヒーショップでバイトをする生活です。すると、あるきっかけで現在の恩師に出会い、「人材カナダ」というカナダの求人サイトの立ち上げを行うことになったのですが、このサイトで人材紹介の仕事に携わってからというもの、企業は単に人手が不足しているから人材を募集しているのではなく、そもそも人が集まらないのには企業のブランディングに問題があるように感じたんです。そこで2009年に立ち上げたのが、広告会社「バンクーバー広告社」になります。そうして広告会社として日系企業のPRのお手伝いをしていくようになり、「もっと日本のクリエイティビティを海外に発信していきたい」と思うようになったんです。

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海外で通用するために必要なものは“九州男児スピリット”

――しかし、現地でビジネスをすることは日本とは勝手が違いませんか?

長 確かにそうかもしれません。でも、僕はカナダにいても「そんなんよかろうもん! やってみたらなんとかなるたい! どんどん行けばよかろうが!」と常に“九州男児スピリット”で仕事をするようにしています。僕が考える九州男児というのは、何事にも一生懸命、そして情熱を持つということ。仕事をする時はとことん。飲むときは飲む。人付き合いを大事に。そしてもう一つが、自分がやりたいことをはっきりと言うこと。だから僕は「この会社で、こんな社会を作りたい」と堂々と言うようにしています。

――まさしく、絵に描いたような「九州男児」ですね。

長 僕がこれまで自分のやりたいことをやり続けてこられたのは、この九州男児的考えがあったからだと思います。それに、バンクーバーはどこか福岡に似ている部分もある気がするんです。まずは環境。海があって、山があって、それに人も温かい。これは福岡とそっくりですよね。それにもう一つ。僕のように単身で乗り込んだ人間、つまりフリーの人も活躍しやすい場所なんです。というのも、バンクーバーの人も福岡人と同じで楽しいことが大好き。何か面白いことをしようとする人には、個人も企業も全力でサポートしてくれます。そういう人間味がある部分は、両者に共通しているところだと思いますね。

――なるほど。その他に、海外から福岡を見て気づかれたことはありますか?

長 福岡は、人や経済に流れがあると思います。例えば、ひとつの都市や文化にへばりついたままビジネスをしていると、その中でドメスティックなことしか考えられない。でも、福岡は世界屈指の便利な空港があるなど外に出ていきやすい環境があったり、先ほどお伝えしたように面白いと思えることに積極的な人が多いからか、結果的に僕のように海外に行ったり、外の世界で一旗揚げてみようとチャレンジする人が多いんだと思います。

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――では最後に、今後、長さんは福岡とどのように関わりを持っていきたいとお考えですか?

長 KOO-KIやレベルファイブをはじめ、福岡には今、元気で勢いのあるクリエイティブ企業がたくさんあります。僕は、そんな福岡で活躍する人たちの成果は、日本の中だけではなくもっと世界で評価されるべきものだと思っているんです。だからこそ、僕は仕事を通して「海外でビジネスを展開したい! 海外に行って仕事がしてみたい」という人を一人でも多くサポートしたい。福岡とバンクーバー、ひいては福岡と世界をつなぐ橋渡しをしたいと思っています。

 

[プロフィール]
長勝博(ちょう・かつひろ)さん
昭和50年生まれ、福岡県出身。久留米高専卒業後、富士通ビジネスシステム(現在の富士通マーケティング)にエンジニアとして入社。その後、技術営業、大手自動車会社の生産物流システム海外展開プロジェクトにおける担当営業として奔走する。富士通を退社後、カナダのバンクーバーへ渡り、2010年にCK Marketing Solutions Inc. を設立。ビジネスや立上げをサポートする Collaborative Open Space を運営、バンクーバー日系ビジネス協会(企友会)の理事、バンクーバー福岡県人会の役員も務める。

 

[関連リンク]
CK Marketing Solutions Inc.
https://ckmsol.com/ja/

Collaborative Open Space
http://collaborativeopenspace.com/

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