福岡とアジアにカルチャーの橋を架ける、 ファッションの街・大名の頼れる兄貴分

ファッショナブルな若者が多いと言われる福岡市の中でも、個性的な店が軒を連ね、ファッションの中心地として古くから有名なのが、大名エリア。そんな大名に店舗を構えて17年、今や街を代表する存在なのが古着店「BINGO BONGO(ビンゴ・ボンゴ)」です。代表の宮野秀二郎さんは、ファッションはもちろん音楽に関しても造詣が深く、2月17日に「ウィズ ザ スタイル福岡」で開催されたクラブイベント「RETHINK」では約1,500名を動員し、福岡の夜の街を沸かせました。福岡にカルチャーの波を作り出す兄貴分・宮野さんが考える、福岡発信のカルチャーとアジアへの展望についてお聞きしました。

――まずは、宮野さんのこれまでの経歴を教えてください。

宮野 はい。2歳上の兄がいた影響で、小さい頃からファッションや音楽に夢中でした。アルバイトをしたお金で洋服やCDを買うのが楽しみで。大学4年生になって、一緒に遊んでいた友達もみんな伸ばしていた髪を切って就職していく中、僕一人だけ「洋服屋をやるんだ」と決めて、長髪のまま卒業したんです。アルバイトで頑張って貯めた500万円を元手に、卒業後すぐに店を開こうと思ったんですが、母親に「あんた、洋服は好きでも洋服屋の仕事については何も知らんやろ?」と言われて、確かにそうだったと気づいて(笑)。それで、当時大名にあった「NYLON(ナイロン)」というお店にスタッフとして入って、そこから本格的にファッション業界に身を置くことになりました。

――ファッションの中でも古着にこだわった理由は何ですか?

宮野 22歳の時にその店の社員になってすぐ、アメリカへの買い付けに連れて行ってもらったんです。ロサンゼルスとシカゴに行ったのですが、特にシカゴでは、サウスサイドにある貧しい地区で、99セント(当時のレートで約120円)のTシャツを子供のために真剣に選んでいる黒人の母親の姿を見たりして、衝撃を受けました。貧しい生活の中でも、ファッションを楽しんでるんですよね。それで、一着の洋服の価値だけでなく、その文化的背景も一緒に伝えるような仕事ができたらなと思ったんです。買い付けの仕方を学んでいくうちに自信もついてきて、25歳の時に独立して「BINGO BONGO」という古着屋を立ち上げました。その後、一時は新品のセレクトショップを経営したりもしてましたが、基本的には古着をやり続けています。もう17年になりますね。

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――17年! 古着屋の中でも、すでに老舗ですね。最近もまた古着が流行り始めているようですが。

宮野 古着のブームはこれまでに2度来ていて、最初が平成7(1995)年頃に火がついたビンテージブームです。「XX(ダブルエックス)」というLevi’sのジーンズが流行した頃ですね。そして、平成19(2007)年ごろに、第2次ブームがありました。それは、ファッションやカルチャー界全体に起こった80年代リバイバルの流れから再燃したものだと思います。そして現在は、第3の古着ブームが来ています。ファスト・ファッションが当たり前になって、人と被らない個性的な1点ものの古着に注目が集まり、InstagramなどのSNSを通してブームになったと見ています。いよいよ古着が、新品の洋服と並列なファッションの選択肢になってきたので、かつての一過性のブームではなく、定着していくんじゃないでしょうか。今の若い子たちにとって、古着は新品よりも高い物という認識さえあるんですよ。デザイナーズブランドでも、これまでは「ノームコア」と言われるようなシンプルで質の良い普遍的なものが流行っていましたが、今季からはエッジの入ったアイテムが多く展開されてきて、業界全体の雰囲気が変わってきました。これから古着は、ますます面白くなると思いますよ。

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――楽しみですね。その一方で、宮野さんは「Music city TENJIN」や「RETHINK」といった音楽イベントも多数手がけていらっしゃいますね。音楽イベントはどういうきっかけで始めたんでしょうか?

宮野 音楽もファッションと同じようにずっと好きだったものの一つで、古着屋をやる前からDJはしていました。お店を始めてからは、服の売買だけでなく、お客さんとのコミュニケーションを深められる方法として、クラブを借りたイベントもやるようになったんです。だんだんと規模も大きくなって、一番頻繁にやっていた頃は、年間80本くらいイベントを開催してたんですよ。スチャダラパーとか、自分が学生の頃から大好きだった人たちを呼んだりして……一介の古着屋でも、こんな風に自分の憧れの人を呼んでイベントが打てるし、そういうことを下の世代にも見せて、お手本を示したかったというのもあります。

――他に、かつては飲食店も手がけられていましたね。飲食業を始めたきっかけは何だったんですか?

宮野 きっかけは同じように、コミュニティを作りたいという思いからでした。古着を買ってつながりができたお客さんたちが、だんだん年を経て古着を着なくなり、店に来れなくなってしまうのが寂しくて。彼らが集える場所を作ろうと思ったのが、飲食店を始めたきっかけです。とにかく、お客さんが喜んでもらえるものをやろうというのが、僕の基本姿勢ですね。音楽イベントも、利益が出たらプールして、次の回にはまだ知名度も低いけど福岡に呼びたい先鋭的なアーティストを、赤字を出しながら呼んだりしてました。

――そのアツい気持ち、モチベーションの高さはどこからくるものなんでしょうか?

宮野 福岡のファッション業界では、かっこいい店をやっている人は、かっこいい音楽パーティーもやっているという流れが脈々とあるんですよ。僕が初めてクラブに行ったのは中学生の時で、当時よく通っていた洋服屋のスタッフに、「今日こんなイベントがあるから来てみる?」と言われて、恐る恐る行ったんです。そうやって街の先輩たちから、何がかっこいいのかとか、街の遊び方を教わってきたんですよね。僕らが先輩たちにしてもらったように、今の若い子たちにも、カルチャーの面白さを伝えたいし、彼らが育つ場所を作るのが、僕の役割だと思っています。

――それは、今の宮野さんの立場だからできることですね。特に、ファッションや音楽、飲食などジャンルの壁を超えた活動をしているのが特徴的だと感じます。そこを、意識的に混ぜ合わせているというか……。

宮野 福岡は昔から派閥というか、一度所属する場所が決まるとそこから出たがらず、コミュニティの垣根を超えた交流が少ない傾向があると思ってるんです。それは、もったいないことですよね。東京のように人が多い都会だったら、マニアックなイベントでも成立するかもしれませんが、福岡はそうじゃないし、東京と同じものを目指すべきだとも思いません。東京からのインプットを受け入れるばかりではなくて、福岡からアウトプットしていけることがまだまだあるはずだし、そのためにはもっと世代を超えた縦のつながりを作って、一つの大きな福岡コミュニティを内外に示していかないといけないと思っています。そこで、僕らがこれから積極的に仕掛けていこうとしているのが、アジアへの展開です。

――それについて、詳しく教えてもらえますか?

宮野 「新アジア圏構想」と名づけて、日本全国とアジアを繋ぐハブの役割を、福岡の僕らが担っていこうと考えています。すでに数回の視察によって、台北や釜山、フィリピンなど、現地のミュージシャンや感度の高い人たちとの直のネットワークができてきました。それを活用し日本の著名ミュージシャンを、福岡を通じてアジアの各都市へと紹介し、ライブツアーを展開していく。また独自のレーベルを立ち上げて、福岡とアジアのアーティストの作品をリリースすることも視野に入れて、現在法人化を進めています。ファッション面でも、「大名-東区(どんちゅう)地区の友好地区構想」と言って、台北のおしゃれエリア・東区(どんちゅう)とのネットワークを強化し、福岡や東京のブランドをアジアに売り出したり、大掛かりな展示会やショップインショップでの海外出店なども計画しています。

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――昨年9月に福岡市の協力を受け、アジアのDJやミュージシャンを集めて開催した「ASIAN NIGHT SUMMIT(アジアンナイトサミット)」も、その一環ということでしょうか?

宮野 そうですね。音楽フェスはすでに国内で多くありますが、「アジア」をテーマにしたものは、これまでなかったんです。アジアはどの街でも、クラブを含めた夜の経済活動が盛んですが、福岡は極端に少なくて、遊びに来た外国人もナイトライフを楽しむ場所がなくて困ってます。だから、アーティスト同士の交流する場を増やして、お互いもっと行き来したり、一緒に活動する人を増やしていく必要があります。ミュージシャンはカルチャー全般に感度の高い人が多いので、アジアンナイトサミットに出演した韓国のミュージシャンに、うちの店で働いてもらうという計画もあって。人の交流を通じて、お互いのシーンをより強固にしていけたらと思っているんです。

――なるほど。宮野さんは一貫して、人と人を結びつけて、広げていく活動に注力されているんですね。

宮野 ええ、そうだと思います。僕、20代から頻繁に海外に行くようになって、現地の人との一対一の付き合いを大切にしてネットワークを広げてきたし、一緒にお酒を飲んで夢を語り合える仲間だったら、国籍も関係ないんです。そんな中で出会った人と仕事をしたり、埋もれていながら才能のある人を世の中に広めていきたいという思いは常にあります。幸い、ファッションや音楽は言葉の壁を超えて伝播しやすいですし。アジアに行くと、街がものすごいスピードで変わっていてワクワクするし、僕らも自分たちなりの、ストリート流のやり方で面白いことを福岡から仕掛けていきたいなと。長い歴史で見れば、首都が東京じゃなかった時代もあるわけだし、今後いつそうなるかもわからない。常識に縛られずに、自分が生きていく中で少しでも時代を変えるようなことができたら、と思っています。

 

【プロフィール】
宮野 秀二郎(みやの・しゅうじろう)
昭和50(1975)年生まれ。平成13(2001)年3月、アメリカから買い付けてきた古着やヴィンテージを取り揃えた古着屋「BINGO BONGO」を福岡・大名に開店。現在は大名にアパレル3店舗を経営し、飲食のイベントケータリング事業も手がけている。「FASHION WEEK FUKUOKA」「Music city TENJIN」の大名地区代表を務める他、クラブイベント「RETHINK」を主催するなど幅広く活動中。

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