ガンバリオン・山倉社長が語る  福岡ゲーム業界の知られざる「課題」とは

ゲームクリエイターが熱視線を注ぐ街、福岡。

有名ゲーム会社が拠点を構える福岡市は、今や日本を代表するゲーム開発の集積地と言っても過言ではありません。

『ONE PIECEグランドバトル!』シリーズや、『ワールドトリガー スマッシュボーダーズ』(発売/配信:バンダイナムコエンターテインメント)といった、アニメ/漫画の人気ゲームを多数生み出し、最近ではパブリッシングも手掛けている株式会社ガンバリオンもそのひとつ。同社代表取締役社長の山倉千賀子氏は、レベルファイブ・日野晃博氏、サイバーコネクトツー・松山洋氏らと共に、「福岡をゲームのハリウッドに」を合言葉に組織された「GFF(=Game Factory’s Friendship)」 の副会長を務めるなど、福岡のゲーム業界をけん引している人物でもあります。

そこで今回は、そんな山倉氏に、ガンバリオン設立のお話、さらに福岡のゲーム業界の“現在地”について伺いました!

 

■失敗すれば、それだけ次の成功率は上がる

――そもそも社長がゲーム業界に入られたきっかけは何だったのでしょうか?

山倉 実は私、大人になるまでまったくと言っていいほどゲームをやってこなかったんですよ。『週刊少年ジャンプ』が大好きで、14歳くらいからずっと読み続けていますが、(この仕事をする前は)ゲームはからっきしで。ゲーム業界に入るきっかけは19歳の頃、ゲームショップでアルバイトを始めたこと。それもたまたま、当時住んでいた家の近くにそのショップができたからで、なにもゲームに触れたいからというわけではありませんでした。

――意外ですね! もともとゲーム大好きだからこの業界に入ったものだと思っていました。

山倉 たしかに、この業界はそういう方が多いですよね。福岡でもレベルファイブの日野社長やサイバーコネクトツーの松山社長は、元々、かなりのゲーム好きですから。でも、私はもともとそういうタイプではなく、繰り返しますが『ジャンプ』を欠かさず読む漫画好きでしかなかった(笑)。私の場合、ゲーム業界に入ったことも、そこから制作に携わるようになったのも、またゲーム会社を起業するに至ったのも、「目の前の仕事を一つひとつこなした結果」なんですよね。いや、ちょっとかっこよく言いすぎかな……飾らずに言うなら「なし崩し的」にここまできたんだと思います。

――いえいえ、なし崩し的では、こんなに会社が大きくなりませんよ(苦笑)。

山倉 でも今思うと、ガンバリオンを起業したのも勢いみたいなものでした。当時、私は20代半ば。9名の創業メンバーは最高齢が私のひとつ上で、一番下の子は21歳とかじゃなかったかな。みんな若いし、やってみてダメだったら解散すればいい……そういう感じでしたね。若気の至りというか、少なくとも経営のことは何も分かっていませんでした。

――そういう「やってみる勇気」、「一歩踏み出す強い気持ち」は今スタートアップを目指す若者も見習うところが多いと思います。

山倉 う〜ん、私はそんな偉そうなことは言えませんが、それを前提としてアドバイスさせていただくなら、最近は「失敗するのが怖い」という若い人が少なくないようですけれども、「失敗してから考えればいいじゃない」とは思いますね。失敗すればひとつ選択肢が減って、その分だけ次の成功率が高くなるじゃないですか。次は別の方法で挑めばうまくいくかもしれないし。自分自身、非常にのんきな性格だから、こう思うわけですけど(笑)。ただ、なにかやりたいと思ったら、失敗した後のことを考えるより、まずチャレンジしてみようよ、って思います。

――そうしたスタンスでチャレンジし続けた結果、今のガンバリオンがあるわけですね。ちなみに御社の創業の地は長崎の佐世保。その後、1年半で福岡市に拠点を移されるわけですが、福岡を選ばれた理由はなんだったのでしょうか?

山倉 これは“九州あるある”なんですが、九州地方の人って「とりあえず福岡を目指そう」という考え方が基本にあると思います(苦笑)。私自身、福岡に行けば、なにか道が開けるんじゃないかと思っていましたしね。実は起業して1年ちょっとで、新卒を雇おうとして、佐世保のハローワークに求人票を出したのですが、全然人が集まらなかったんです。会社も立ち上げたばかりで、社名を知っている人なんていないから当たり前なんですけど(苦笑)。で、何を思ったかというと、「若い人が多い福岡に移れば人は集まる」と、ものすごく軽いノリで移転することにしたんです。まぁ、これも若気の至りです。

 

■福岡のゲーム業界はもっと盛り上がれるはず

「なし崩し的」「若気の至り」といった表現を用いながら、自社の黎明期について語る山倉社長。もちろん、社長の言葉を額面通りには受け取れないでしょう。99年の会社設立以来、「永く愛されるゲームをつくる会社へ」という明確なビジョンを掲げ、一本一本のゲームを丁寧に仕上げる開発スタンスは一貫しています。そして冒頭にも述べた通り、今や福岡のゲーム業界をけん引する会社へと成長しているのです。

続いてインタビュー後半は、福岡のゲーム業界の知られざる「課題」についても語っていただきました。

――山倉社長ご自身は、いまの福岡のゲーム業界をどう見ていらっしゃいますか?

山倉 あらゆるメディアで“福岡のゲーム業界がアツい!”という文脈で紹介されていますが、現場で働いている私からすると課題に感じていることは少なくありません。福岡のゲーム業界は本当にアツいのかというと、そうではない実態もあるというか……。

――と、言いますと?

山倉 これは他のゲーム会社の社長さんともよく話すことなのですが、福岡で開催するゲーム系イベントはいまいち盛り上がりに欠けるんです。たとえば、全国五大都市でゲームイベントを開催すると、福岡は集客が悪い。それに会場の盛り上がりも、明らかに他の都市に比べてテンションが低いんです。ゲーム業界を志す学生も同様で、会社説明会をやるとその差が歴然。東京や大阪とは違い、福岡では学生たちも元気がないというか、話をしていても反応が薄いんですよね。(メディアなどからは)アツいと言われている一方で、実はアツくないというか。

――そうだったんですね。どうしてそうなってしまっているのでしょうか?

山倉 福岡の方々はシャイなのかもしれません。楽しいことが大好きで、アツくて優秀な人はたくさんいるんですが、なぜか大人数で集まってしまうと前に出たがらない。「福岡人」という括りでは言えないとは思いますが、こと福岡のゲーム好きに限っては、そういう傾向は確実にあります。我々の業界内では10年くらい前から、この状況を変えないといけないという共通の問題意識がありました。福岡のゲーム業界が元気なのは事実ですが、それは業界内の人間が盛り上げているから。盛り上がっているのではなく、自分たちで盛り上げているんですよね。だから、できればその盛り上がりが自走するというか、自然発生的に盛り上がるレベルにまで、福岡のゲーム文化を育てていかないといけないと思っています。

――なるほど。福岡のゲーム業界がさらに発展するには、そういう“不都合な真実”と向き合うことも必要なのかもしれませんね。

山倉 そう思います。次の世代が育たなければいけませんから。それと、課題と言えばもうひとつ。他地域から福岡のゲーム業界を見た時、ちょっと敷居が高いと思われていることも無視できません。実際に、東京のゲーム関連会社の社長さんから「ゲームが作りたくて福岡に来たけれど、福岡はレベルが高く恐れ多くて声がかけられない」だとか「門前払いされるんじゃないかと思っていた」という声を聞いたことがあります。

――福岡のゲーム業界は、外側からは見ると“高嶺の花”と思われていると?

山倉 そういうことだと思います。我々は「福岡をゲームのハリウッドに」と謳っていますし、それを本気で目指してはいますが、もしそれが敷居が高いと思われている一因だとしたら、ものすごい悪循環です。キャッチコピーだけみると「何かすごいことをやっている!」と思われるかもしれませんが、実際はまったく敷居は高くないので、どんどんと他所からも仲間に入ってほしいと願っています。

――ポジティブに言うと、課題が明確に見えている分、解決策も見出しやすいのでは。

山倉 そうですね。もちろん、福岡のゲーム業界を草の根から盛り上げたり、外の人がジョインしやすい環境をつくるのは、そう簡単なことではないことも分かっています。だからこそ、少しずつでもいいので、できることからチャレンジしていきたい。「福岡をゲームのハリウッドにする」というキャッチコピーは、本当に大きすぎる目標で、それが5年後、10年後に達成できるものではないこともわかっています。ただ、いつかそこに到達できるように、それこそ私が死ぬまでに達成できればいいなと思い、活動しています。

 

【プロフィール】
山倉千賀子(やまくら・ちかこ)
長崎のゲーム会社へ入社後、1999年にガンバリオンを設立。同社経営の傍ら、九州・福岡のゲーム制作関連企業からなる任意団体「GFF」では副会長として活動するなど、日々、福岡のゲーム業界の発展のために尽力している。

 

【関連リンク】
ガンバリオン
https://www.ganbarion.co.jp/

GFF(Game Factory's Friendship)
https://www.gff.jp/

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