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更新日: 2020年9月15日

中村 哲 氏(令和2年3月25日選定)



福岡市名誉市民

昭和21年9月15日生(令和元年12月4日逝去)


中村哲氏の写真


学歴

  • 昭和373月 西南学院中学校卒業
  • 昭和40年3月 福岡県立福岡高等学校卒業
  • 昭和483月 九州大学医学部卒業

主な経歴

  • 昭和48年5月~昭和50年3月 国立肥前療養所
  • 昭和49年11月~昭和54年6月 大牟田労災病院
  • 昭和54年6月~昭和57年7月 馬場病院
  • 昭和58年9月~昭和59年4月 英国リバプール熱帯医学校 熱帯医学専門医(DTM&H)
  • 昭和59年5月~平成6年10月 ペシャワール・ミッション病院ハンセン病棟医長
  • 昭和59年5月~令和元年12月 ペシャワール会現地代表
  • 昭和61年10月~平成10年4月 JAMS(ジャパン・アフガン・メディカルサービス)顧問
  • 平成10年4月~令和元年12月 PMS(ピース・ジャパン・メディカルサービス)総院長
  • 平成264月~令和元年12月 九州大学高等研究院特別主幹教授

主な表彰歴

 昭和63年 外務大臣表彰
 平成4年 毎日国際交流賞
 平成5年 西日本文化賞
 平成8年 読売医療功労賞
 平成8年 厚生大臣賞
 平成10年 朝日社会福祉賞
 平成15年 マグサイサイ賞 
 平成16年 アカデミア賞 国際部門
 平成25年 福岡アジア文化賞大賞
 平成28年 旭日双光章
 平成30年 ガジ・ミール・マスジット・カーン勲章
 平成30年 土木学会技術賞
 令和元年 旭日小綬章 
 令和2年 福岡県県民栄誉賞
 令和2年 大牟田市市民栄誉賞

 

功績の概要

 中村哲氏は,昭和21年に福岡市で生まれ,市内の中学校,高校で学び,その後,九州大学医学部を卒業後,国内の病院勤務を経て,昭和59年にパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールの病院に赴任され,ハンセン病などの治療に始まり,難民キャンプや山岳地域での診療へと活動を広げ,平成3年にアフガニスタンに最初の診療所を開設されました。その後,アフガニスタン東部山岳部の3診療所を中心に医療活動を行う中,平成12年に大干ばつがアフガニスタンを襲った際,医療だけでは人の命を救うことができない現実を前にし,安全な水を得るため,1,600本の井戸を掘り,さらには日本伝統の治水技術を用いて灌漑用水路を建設し,広大な農地を回復,開拓されました。用水路工事は雇用を生み,難民の帰還を促すとともに,彼らが農民として平和に暮らすことを可能にしました。

 その後も,ペシャワール会の現地代表として常に医療や国際協力の現場で先頭に立ち,農地の回復,開拓を続け,令和元年までに1万6,500ヘクタールの大地を緑に甦らせ,多くの人々に水の恵みをもたらしました。

 同氏の活動は国内外で高く評価され,これまでに,アジアのノーベル賞とも呼ばれるマグサイサイ賞をはじめ,ガジ・ミール・マスジット・カーン勲章(アフガニスタン国家勲章),旭日双光章など,数々の賞を受賞され,福岡市においても,平成25年に福岡市出身者として初めて,福岡アジア文化賞大賞を贈賞しました。さらに,令和元年10月には,アフガニスタンから名誉市民権が授与され,亡くなられた後においても,長年にわたる国際人道支援や国際協力への貢献を称え,同年12月には旭日小綬章が授与されています。

 同氏の異文化の理解と尊重を求め,真の平和構築を目指された功績は,誠に顕著であり,文化の発展向上等に大きく寄与するものです。