明治42年3月1日生(平成16年10月31日逝去)
下澤轍氏は,戦災により廃墟となった博多の街で,伝統のどんたく復興を計画実行し,昭和23年に博多どんたく港祭り復興委員会(後に福岡市民の祭り振興会と改称)を設立されました。同氏は,副会長兼実行委員長として長年にわたり,その発展と復興に尽力され,全国有数の観客数を誇る日本を代表する祭りとして定着させました。
また,同氏は,昭和22年に新天町商店街公社を創設し,昭和24年には新天町商店街に飾り山を立てるなど,祭りの中に生きる町人文化を通して商店街の活性化を図るとともに,福岡市商店街百貨店量販店連盟や博多町人文化連盟などの代表を務められ,並外れた行動力と指導力で博多商人を統括し,町人の立場から福岡博多の文化を守り続けられました。
昭和54年からは,博多仁和加振興会の会長として,博多どんたくや山笠奉納仁和加大会をはじめとする各種行事への出演や子供仁和加の育成・指導など,郷土芸能「博多仁和加」の普及振興に情熱を注がれ、平成9年には福岡で全国にわか大会を開催するなど,本市の市民文化の支援・育成にも尽力されました。
このように,同氏は長年にわたり,福岡博多の商店街の復興と活性化に尽力されるとともに,本市の発展の源の一つである祭りを通して,伝統文化行事の継承・発展に一生涯をささげられました。