福岡市は、天神、博多駅、渡辺通りに囲まれた都心部を中心に東西に広がっており、南は大橋を中心に太宰府へとのびており、旧唐津街道に沿って帯状に西へ展開されています。
かつて、福岡藩時代に、博多から唐津へ向かう街道沿いの町として栄え、人口急増の背後地と都心部を結ぶ西部の交通の要衝地という立地条件のもとに商業、文京、行政の中心地として発展してきましたが、低層木造住宅と商店が混在し、また、交通の難所として都市機能の低下が著しくなってきていました。
しかし、西新商店街は、福岡市における副都心的ショッピング街としてすでに相当規模の集積を呈しており、広く市民に親しまれていました。
昭和42年の日本住宅公団の市街地住宅適地調査を機に、地区の中心部約2.3ヘクタールの区域について再開発プランが打ち出され検討が始められました。
建物外観
しかし、当時は地域住民の理解が薄く進展しませんでしたが、地元意向の熟した約1.1ヘクタールについて再開発計画を固めることができ、公共施設の設備とあわせて地下鉄西新駅舎との一体化をはかり、ショッピングセンターを中心にコミュニティセンターの形状をめざし、西部地区の拠点整備の一環として、ふさわしい都市づくりをすることができました。
事業区域図
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福岡市西区(現在:早良区)西新2丁目、3丁目及び4丁目の各一部
福岡市
約1.1ヘクタール
土地所有者:9名
土地建物所有者:26名
建物所有者:17名
占有者:33名
計:85名
年時 | 経緯 |
---|---|
昭和43~47年 | 各種調査、アンケート、懇談会、説明会等の実施 |
昭和48年 | 国庫補助事業として採択 |
昭和49年3月 | 都市計画決定(3月12日) |
昭和51年3月 | 核テナント決定((株)岩田屋 3月12日) |
昭和51年5月 | 都市計画変更認可 |
昭和51年7月 | 事業計画認可(7月28日) |
昭和52年10月 | 評価基準日(10月19日) |
昭和53年1月 | 再開発住宅入居開始 |
昭和53年4月 | 事業計画変更認可、同公告 |
昭和53年6月 | 権利変換計画認可公告 |
昭和53年7月 | 権利変換期日(7月3日) |
昭和54年7月 | 建築工事着工(7月20日) |
昭和55年12月 | 事業計画変更認可 |
昭和56年3月 | 管理規約認可(3月25日) |
昭和56年5月 | 権利変換計画変更(5月7日) |
昭和56年5月 | 建築工事完了 |
昭和56年6月 | 竣工式(6月23日)、エルモールオープン(6月26日) |
約4,200.15平方メートル
約3,683.28平方メートル
約29,386.25平方メートル
鉄骨鉄筋コンクリート造
地上7階一部9階 地下2階建
商業施設
地区外に別途確保 300台
建築断面図
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名称 | 幅員 | 延長 |
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都市計画道路 博多姪浜線 | 36m | 約142m |
都市計画道路 堅粕西新線 | 22m | 約52m |
地下鉄横断歩道 | 4m | 約22m |
総事業費 約89億円