古代の迎賓館と称される鴻臚館は、奈良時代後半から平安時代末(7世紀後半~11世紀後半)まで現在の舞鶴公園内に所在した外交施設で、「遠の朝廷(とおのみかど)」とうたわれた大宰府の整備に続いて、外交・交易施設として設置されました。
「鴻臚館」とは平安時代の客館の名称です。設置当初は「筑紫館(つくしのむろつみ)」と呼ばれていましたが、施設名称が唐風に改められ、鴻臚館となりました。
「鴻臚」の意味は鴻=大きい・広い、臚=伝えるという意味があり、中国(唐)長安の「鴻臚寺=外務省」に由来します。日本には鴻臚館は京都と大阪にあったとされ、遺構が分かっているのは福岡の鴻臚館だけです。
都市福岡発展の出発点の一つである鴻臚館を往時の姿に復元することで、福岡が育んできた歴史や文化交流の長い歩みを体感できる場所を整備します。さらに福岡の歴史をつなぐこれからのシンボルとして、多くの来訪者がその扉を開いた北館東門を現代に復元整備し、観光・交流の重要な資源として活用していきます。
古代対外交流の窓口であり、日本で唯一遺構が発見されている鴻臚館を、「国際交流都市福岡」の原点として、鴻臚館が歴史的に有していた機能、そこで行われていたことを理解し実感する空間にするとともに、市民のアイデンティティや、観光・集客の拠点として、多くの人々にその魅力を伝え、保存・活用を図るための整備基本計画を策定しました。
鴻臚館跡の現状や課題の整理を行うとともに、セントラルパーク構想及び福岡城跡整備基本計画との整合を図りながら、「国史跡鴻臚館跡」を適切に保存し、鴻臚館の本質的価値や福岡城跡との歴史の重層性などの特徴を活かした整備・活用を推進するために基本構想を策定しました。
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