福岡市は第2次世界大戦の末期、昭和20年6月19日に空襲を受け、都心部のほとんどを焼失。その被災状況は、都心部天神を中心に東西は御笠川から樋井川まで延長約5キロ、南北は櫛田神社―大濠公園から博多、福岡両港まで幅約1.8キロのおよそ400ヘクタールの区域におよび、被災戸数約12,700戸、被災人口は約6万人にものぼりました。
昭和20年8月15日に終戦を迎えて、国は全国115都市の戦災復興のための基本計画を策定するとともに特別都市計画法を制定。福岡市もこれに基づき昭和22年1月22日に福岡都市計画復興土地区画整理事業の認可を得て事業に着手しました。
戦災により焦土化した中心部(昭和20年9月10日)
復興状況(昭和47年7月7日)
この計画にあたっては、九州の行政や経済、さらには、文化の中心地として、福岡市が成長して行くことを念頭において立案されました。戦後の困難な状況の中、それまでに経験したこともない問題も、7回に及ぶ事業計画の変更などにより克服。街路樹や緑化の推進、市民生活の保健衛生や防災にも十分配慮し、道路も幅員50メートルを始めとする都市計画道路10路線および区画街路42本を新設改良。又、公園の整備や市内電車軌道と西鉄大牟田線の移設、建物の移転など将来の理想都市の実現へ向けて基盤整備が進められ、昭和47年2月に換地処分を実施。25年におよぶ長期事業を完了するに至りました。
施行面積 | 328.7ヘクタール |
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施行期間 | 昭和21年度~昭和52年度 |
総事業費 | 1,192,011千円 |
減歩率 | 19.70%(公共 19.10%保留地 0.60%) |