福岡に住んでいると当たり前のように思ってしまいますが、福岡市には二つの呼び名があります。「福岡」と「博多」、明確な呼び方の差はないような気がしますが、福岡以外の人、特に九州以外の人には「博多」の名前が有名です。というのも、福岡と地名が付いたのは江戸時代以降だし、福岡市と決定したのは明治時代からなので、博多と呼ばれた時代の方が圧倒的に長いのです。
現在は舞鶴公園として市民には親しまれていますが、ここに初代福岡藩主・黒田長政が1601年(慶長6)年から7年がかりで福岡城を築城しました。黒田如水・長政親子は関ヶ原の戦いの功績によって筑前52万3000石を徳川家康より与えられました。黒田の殿様がもともと住んでいたのが、備前国(現在の岡山県)の福岡だったことから、自分たちが住み始めた城を福岡城と名付け、そのあたり一帯を福岡と呼ぶようにしたのです。博多湾から眺めると、大空に舞う鳥のような姿の城であるため、別名・舞鶴城とも呼ばれました。
当時は海から続く堀をめぐらし、城内に10あまりの城門と47の櫓を配した壮大な城だったようです。また大阪城の築城にも参加した石積みの名人が造り上げた石垣が素晴らしかったため、石城とも呼ばれたとか。当時のまま残されている南丸多聞櫓や立派な石垣に面影を見ることができます。
都心の公園・舞鶴公園として整備された一帯は、ご存じのように桜の名所として有名なのはもちろん、ボタンや藤、シャクヤク、花菖蒲、アジサイ、そして夏になると堀には一斉にハスの花が咲き、四季を通じて美しい花々が咲き乱れる公園として市民の皆さんに今でも愛されています。黒田藩のこと、福岡城のことなど、福岡の方の歴史はまだ知られていないようです。ぜひ訪れて、勉強したいものですね。
舞鶴公園の詳しいことは
緑のまちづくり(公益財団法人 福岡市緑のまちづくり協会)
福岡市広報課長 佐々木 喜美代
(※2009年5月10日時点の情報です)