ほんの40年ほど前まで天神のショッピングゾーンは、西鉄名店街と岩田屋、そして新天町しかありませんでした。それでも幼い頃、天神に行って遊ぶことはとてもキラキラした体験でした。家族で食事、年に1度か2度買ってもらう洋服、クリスマスも近くなると商店街の福引きがとても楽しみで舞い上がっていたものです。
中でも、新天町の催しは心ひかれるものばかりでした。スクーターに乗ったサンタクロースたちや牛が1頭当たる抽選会、どんたくでも新天町のパレードが一番華やかでした。商店街の店主たちが一体となってイベントを盛り上げていたのです。
終戦を迎えた1945年、大空襲で焼け野原になった町に、「活気と笑顔」を取り戻そうと博多商人たちが立ち上がりました。商店街に入りたい店は600店、それから250店に絞り、さらに「のれんの信用度」や「時間を守れる人」「親類づきあいができる人」などを条件に78店舗を選んだそうです。
翌年には1周年を記念して歌詞を公募し「新天音頭」を制作、新天町マークも決まりました。そして1949年、その後の天神を賑わいの中心地とすることに寄与した地域商業者の集まり「都心界」が結成されたのです。当時賑わっていた博多駅や川端が、デパートと商店街の連携が弱く、地域全体が活性化していないのを見ていた新天町の商店主たちは、天神で商売をする人たちの連合をつくったのです。「天神を都心に」という願いを込めて「都心界」と名付けられました。天神ではお互いに協力していくことが最優先だったそうです。この精神が現在のWe Love天神協議会にもつながっています。
1976年に天神地下街、天神コアビルができ天神は広がりを見せました。1989年にはイムズ、ソラリアプラザがオープン、1997年に大丸エルガーラ、福岡三越が開店して今の天神ができました。九州各地から人を集める天神も小さな商圏だったのです。でも、その小さなスポットから夢や希望がわき出ていたのでした。新天町、お誕生日おめでとう!
福岡市広報課長 佐々木 喜美代
(※2009年10月10日時点の情報です)