今では日本の代表的産業として発展し、世界中で走っている日本の自動車。その出発点となった1台が福岡に残っています。現存する国産自動車としては日本最古で、1916年に製作された「アロー号」です。製作したのは後に矢野特殊自動車の創業者となる矢野倖一で、名前の「矢」にちなんでアロー号と名づけられました。現在、アロー号は福岡市博物館に寄託収蔵されています。
1912年、矢野倖一は地元の実業家・村上義太郎から、所有していたフランス車の修理を依頼されます。将来のエンジニアを夢見て工業高校で学んでいた矢野は、ガソリンエンジンの模型飛行機を手作りするような少年でした。自動車に関する情報がほとんどない時代、イギリスの自動車写真とエンジン製作の知識をもとに、さまざまな部品を手作りしながら大修理をやりとげます。
すっかり自動車にのめり込んだ矢野は、その後に村上義太郎の資金援助を受けて、純国産自動車の製作にチャレンジします。純国産ということは部品類もほとんど手作りするということ。試行錯誤をくり返しながら、設計開始から丸3年後にアロー号は完成しました。残念ながら日本初の国産車にはひと足遅かったのですが、一個人がほぼ独力で車を製作したことは大きな快挙でした。
何度も試作をくり返し、いろいろな工夫を重ねて独創的なものを作る経験は、その後の矢野の仕事にもつながります。次に依頼がきたのは国産初のダンプの製作で、それも成功させます。やがて次々に依頼が舞い込むようになり、1922年に矢野オート工場(現・矢野特殊自動車)を設立しました。現在も冷凍車やタンクローリなど、さまざまな特殊自動車を作り続けています。
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