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更新日: 2016年11月24日

みなみ情報発信隊 校区で見つける歴史特集


みなみ情報発信隊員がそれぞれの校区で見つけた歴史を紹介します


大池校区

多賀町の起源


多賀町記念碑の画像

多賀町記念碑


多賀町という町名は大正15年4月からの名称です。それまでは筑紫郡八幡村大字野添及び畠田の一地区でした。耕地整理組合を作り道路等整備して住宅街にし、この地区を新たに「多賀」と改称したのが起源です。昭和14年12月に記念碑が建てられています。

所在地:南区多賀1丁目19番地、朝日生命社宅南側


曰佐校区

袖乃浦伊三之記念碑

明治中期から大正初期にかけて活躍した有名な相撲取り、袖乃浦伊三は曰佐村大字上曰佐(現在の曰佐四丁目)出身です。

袖乃浦伊三之記念碑

17歳で土俵に上がり、のち九州大相撲にて大関としての地位を占めていました。引退後も家業の傍らで、後進者の養成・指導に尽力されたこともあり、門下生からこの碑が贈られたようです。
アトランタオリンピックで活躍した柔道の中村三兄弟は末裔になります。
当初、県道沿いにあったこの碑は、道路拡張工事のため生家のあった場所に移設されています。隣に建っている近代的なマンションとの対比が一段と歴史の趣を感じさせてくれます。


塩原校区

地禄神社

地禄神社正面

塩原3丁目にある地禄神社は、地禄天神神社と言い、農耕の神様で御祭神は埴安比古大神、埴安比売大神で塩原の守護神として大きな役割を果たしてきました。
古記によれば、塩原3丁目辺りまで海で、塩を煮て豊作祈願として塩煮塚を建てたとあり、塩原の地名もこれに由来しているという事です。

平成21年に塩煮塚碑を取材しました。

【塩原校区】塩煮塚碑(しおにづかひ)


高木校区

井尻地禄神社

井尻地禄神社1

井尻地禄神社2

参道を進むと鳩の像・狛犬の像が一対、拝殿があり、拝殿の向こう側には熊野神社があります。拝殿の奥の方に行くと、本殿の横に大きな板碑があり碑の由来と共に立っています。
また、境内の中には明治16年に高等小学校が開校し明治43年に廃校となった「井尻高等小学校之祉」記念碑があります。
あまり知られていませんが隠れた人気があります


西高宮校区

筑前琵琶発祥の地

筑前琵琶の発祥記念碑

「妙音を かしこまりきく 石千鳥」

南区高宮1丁目の天台宗の寺 成就院の本堂前に筑前琵琶の発祥記念碑と「筑前琵琶のながれ」という副碑が建っています。

765年、太宰府に生まれた橘玄清は17才で失明し盲僧となりました。琵琶を弾いて奇跡を行い、人々を救いました。789年、太宰府に戻り「成就院」を創建。これが筑前盲僧の本山として 各地に筑前琵琶が広まりました。「玄清流盲僧琵琶法楽」は筑前琵琶の源流で, 昭和39年 福岡県無形文化財の指定を受けています。

成就院は約1200年前、玄清法印によって四王寺坂本に草庵が建てられましたが、明治40年に天台宗別格本山として、ここ高宮に移転。地元では大相撲九州場所の北の湖部屋の宿舎があったことで知られています。


西長住校区

御子神社

西長住校区の樋井川3丁目にある『御子神社』です。毎年10月20日に秋季例大祭が行われます。御子神社は安徳天皇を祭神とし、安産と子どもの守り神として、古くより近郷の崇敬が篤い神社です。

御子神社の鳥居の画像

御子神社の鳥居


横手校区

天龍山 八部院 正法寺の大銀杏

本堂の横に位置する大銀杏の画像

本堂の横に位置する大銀杏


永禄年間に住吉の妙円寺開山念誉行明上人によって建立された格式ある正法寺は、旧曰佐村の中心地であった横手の真ん中に位置する名刹である。

大正時代の運動会で歌われていた「曰佐村の歌」の中にある「・・・浄土の寺の正法寺 庭に一本(ひともと)大銀杏(おおいちょう」」とあるのは、開山時に植えられた樹齢500年以上の大木で、村人から「正法寺の銀杏(ぎなん)」と呼ばれ、井尻から横手を目指す目印となっていた大銀杏の木のことである。

昭和48年に落雷のため倒木し、危険だということで低く剪定されました。なお、昭和50年に福岡市から保存樹木の指定を受けています。
 
所在地:横手3丁目20-5


弥永西校区

歴史ある校区

脊振神社(image)

脊振神社

警固神社の画像

警固神社

春日神社の画像

春日神社


警弥郷一帯は昔から水田稲作地帯で、お寺・神社を中心に200戸ほどの集落でした。その後、人口が増え土地改良がすすみ、昭和44年市街地帯となりました。
また、校区にはめずらしく3カ所のお宮があり、現在は地域の3社参りとして、その時期は賑わっています。この中でも、警固神社は天神にある警固神社と同じ神が祭られています。


老司校区

老司古墳と老松神社


老松神社の正面の画像

老松神社の正面

普段は開帳していない神殿の画像

普段は開帳していない神殿

  1. 老司古墳は、5世紀初頭に築造された全長75メートルの前方後円墳で、国史跡指定されています。福岡平野を収めた権力者の墓と言われ、4カ所の石室は、日本最古の竪穴系横口式です。 ※福岡少年院の敷地内に古墳があり、発掘後は一般公開されていません。
    所在地:老司4丁目23番
  2. 老松神社は1558年(永禄元年)の創建とされ、主祭神は菅原道真公のご両親です。本殿の右に末社、左に稲荷神社があり、元旦祭や春の大祭には多くの人が参詣されます。
    神殿内には、1692年(元禄5年)に奉納された木製の狛犬が鎮座し、元旦祭と春の大祭には開帳されます。
    所在地:老司4丁目6番1号 

若久校区

若久住吉神社

神功皇后の三韓遠征には、住吉の神が現人神となり船場で航海の安全を守った。事帰着した皇后は感謝し、海岸に現人神を祭った。これが住吉神社の起源で、住吉神社は、繰り返される那珂川の氾濫で海岸線が後退し、その場所が曰佐から若久、現在の住吉へと移ったと言われています。

若久住吉神社は、若久校区のほぼ中心に位置し、地域住民の氏神として親しまれています。神事は、毎年恒例として、1月1日、5月3日、10月16日に行われています。
(南区校区よかとこ再発見より)

若久小学校の南に位置する場所に若久住吉神社があります。若久通り側からの参道(階段となだらかな坂道の両方がある)を上ると境内があり、社殿・本殿を望めます。境内の中に黒田長政公植樹と言われるヤマモモが御神木として大切に保存されています。

境内の様子1 

境内の様子2

若久公民館が現在の位置に移るまですぐ裏に旧若久公民館があり、多くの人が毎日行きかっておりましたが、現在は静かな佇まいです。

そんな中、若久校区3大事業(若久まつり・運動会・ウォークラリー)のウォークラリーの締めとして、3大事業に協力いただいた人たちの慰労を兼ねた懇親会で、若久住吉神社は久しぶりににぎわいました(10月30日)

懇親会で多くの人が集まりました


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