神功皇后は、三韓に遠征する際、名島海岸から宗像三女神へ遠征の無事平穏を祈願しました。その後、無事に帰還したため、お礼としてその地に名島神社を建立し、宗像三女神を祭りました。これが、名島神社の起源といわれています。
また、この地にはかつて名島城が建立され、現在跡地は名島城址公園として整備されています。
※区職員の個人的な意見です
名島神社の社殿
境内にある名島豊川稲荷神社
名島神社に祭られている宗像三女神は、日本と大陸をつなぐ海上交通の要所・玄界灘の神様です。古くより海上交通の神様、道の神様として信仰を集めています。
名島神社は、足利尊氏や豊臣秀吉など時の権力者の参詣を受けてきました。交通安全・家内安全・無病息災・縁結びなどのご利益があります。
「名島城」と書かれた記念碑
福岡市中央区にある名島門
名島城は、豊臣秀吉の九州平定後、筑前国主となった小早川隆景が豊臣秀吉の命により、天正16(1588)年から立花城の支城を整備して築城しました。この城は、小規模ながら桃山文化の粋を極め絢爛豪華であったといわれています。
慶長5(1600)年に黒田氏が筑前国主になると、黒田長政は現在の福岡城の地に城を築きました。このとき、名島城を解体し、その石材や木材を新城の築城に使用しました。移築したものは「名島引け」と呼ばれ、現在、舞鶴公園の中にある「名島門」は数少ない遺構の一つです。名島城の資材を再利用するとはサステナブルですね!
城跡は広々とした公園になっています
園内の臥龍桜は見ものです
名島城跡地は現在、「名島城址公園」として整備されています。公園からは、海の中道や志賀島が望め、立花山なども見ることができます。
また、園内には樹齢400年といわれ、「臥龍桜(がりゅうざくら)」の愛称で親しまれている桜の大木があります。枝が地を這うように伸びていて龍のように見えることから、その名がつけられました。満開を迎える3月末には、多くの見物客でにぎわいます。
名島神社のすぐ近くに、縁の石といわれる石があります。
神功皇后が三韓へ遠征する際に、この岩から船に上がったといわれています(諸説あります)。縁遠い人が石に寄り添い祈れば良縁あり、婦人が祈れば安産ありと伝えられています。
名島神社の近くにある縁の石
名島神社の海側にある帆柱石は、昭和9(1934)年に区で唯一の国の天然記念物(地質鉱物)に指定されました。帆柱石の秘密に迫ってみましょう。
※区職員の個人的な意見です
神秘的な帆柱石
帆柱石は、約3500万年前のカシ属の樹木が化石になったもので、長さ10メートル、直径約60センチの円柱形の細長い石が9個に折れた状態になっています。
周りのチェーンがかかっている石は柵です。見間違わないようにご注意ください。
近づくと大きさを実感します
伝説では、神功皇后が三韓から帰還したときに乗っていた船の帆柱が、化石になったものとされ、帆柱の名称の起源となっています。
満潮時に海に沈む帆柱石
満潮時には水没してしまうので、潮見表などで干潮を確かめてから行くことをおすすめします。
多々良川の河口付近に架かる名島橋は、平成30年に国の有形登録文化財に(建造物)に登録されました。全長204メートル、全幅24メートルの鉄筋コンクリート製で、1日約6万台の車が通り、膨大な交通量を支えています。
※区職員の個人的な意見です
横から見ると分かるアーチが特徴的
名島橋は、文禄元(1592)年に、名島城の城主・小早川隆景によって作られました。現在の橋は、3代目で昭和8(1933)年に建設されたものです。白く目立つ外観で戦時中は爆撃の標的になる恐れがあるため、コールタールで黒く塗られ照明灯も取り外されました。やがて人々の生活が安定すると元の姿を取り戻しました。
登録有形文化財(建造物)登録記念碑
7つのアーチからなる長大な景観と優美なデザインが特徴で、近代福岡の発展を象徴する橋として評価され、平成30年に国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
マスクを付けたサンタクロース
名島橋は、名島校区のシンボルとして地域の人々からも愛されています。
名島校区自治協議会は、橋の定期清掃を行うほか、毎年12月頃に橋の親柱にサンタクロースの飾り付けをするなど親しまれています。クリスマスの時期に通る際には、名島橋のサンタさんにも注目してみてください。
なみきスクエアは、平成28年にオープンした、東市民センター、千早音楽・演劇練習場、千早証明サービスコーナー、東図書館などの機能を持つ複合施設です。広い休憩スペースやパン店も併設されており、区民の憩いの場として親しまれています。
※区職員の個人的な意見です
広々と使える会議室
実習室では料理教室などが開催されています
最大約800人を収容するなみきホール
東市民センターには、会議室、和室、託児室、実習室などがあり、用途に応じて使用することができます。講座・講演会・研修会等が日々開催され、学習や文化などの色々な活動に利用できるコミュニティセンターとしての機能を担っています。
また、音響効果に優れたなみきホールは、演奏会・講演・演劇・舞踊などさまざまな目的に応じて利用できます。
290人収容できる大練習室
グランドピアノが設置してある中練習室
小練習室は4部屋あります
音楽・演劇練習場は、市民の舞台芸術活動に使用することができる施設です。
広さの異なる大・中・小の練習室が6部屋あり、音楽や演劇、舞踊(ダンス)の練習の場として使用できます。また、大練習室・中練習室は発表の場としても利用できます。
一般図書の蔵書は約52,000冊あります
明るい日差しが入る閲覧席
児童図書の蔵書は約23,000冊です
千早並木広場に面し、緑を楽しみながらゆったりしたスペースでどなたでも閲覧できます。館内には、閲覧席、児童コーナー、おはなしのへや、調べものコーナーを設けており、読み聞かせなどのイベントも開催されています。福岡都市圏に住んでいる人、または福岡市内に通勤・通学している人なら誰でも本を借りることができます。
千早証明サービスコーナーでは各種証明を
スムーズに取得できます
マイナンバーカード交付専用窓口
千早証明サービスコーナーは、土日祝日も夜8時まで各種証明を取得できます(戸籍・税証明は平日午後5時15分まで)。詳しくはこちらをご覧ください(千早証明サービスコーナー)。
また、同コーナーにはマイナンバーカード交付専用窓口があります。事前予約制で、インターネット・電話で予約を受け付けています。平日午前9時から午後7時、土日も午前9時から午後5時まで受け取ることができます。インターネットによる予約はこちら(外部サイト)。
さまざまな用途に使用できます
会議室2部屋もあります
約140㎡の多目的スペース・会議室では、乳幼児健診などを行うほか、市の使用がないときは、市民がギャラリーやロビーコンサートなどに利用できます(市の共催または後援事業に限ります)。
東区芸術文化祭オープニングイベント
令和4年度東区芸術文化祭メインビジュアルオブジェ「ぺたぺたマーチ」
区は、芸術文化を気軽に体験できるよう、毎年10月から12月にかけてなみきスクエアを中心に、「東区芸術文化祭」を開催しています。そのメインイベント「なみき芸術文化祭」をここなみきホールで開催します。東区芸術文化祭・なみき芸術文化祭についての詳細はこちらからご覧ください。
千早校区は、香椎副都心区画整理事業(平成24年度事業終了)によって道路などの基盤が整備され、中高層住宅や商業施設などが立ち並んでいます。平成29年の校区人口は、平成17年の倍になっています。
その昔は、西日本で初の「流れるプール」や、スケートリンク場があったそうですよ。
千早にあった流れるプール(左写真)とスケートリンク(右写真)(出典:高橋株式会社)
香椎地区は、昭和30年に糟屋郡香椎町から福岡市に編入されました。香椎は、松本清張の小説「点と線」の舞台となったことでも知られています。
※区職員の個人的な意見です
満開の清張桜
記念碑
西鉄香椎駅の前には、「清張桜」と呼ばれる一本の桜が植えられています。
この木は、「点と線」に登場する旧西鉄香椎駅が改築される際に、当時の面影を残す桜の木が移植されたものです。
このことを記念した石碑が、平成30年に作られ、毎年、春には「点と線 香椎桜まつり」が行われています。
取材熱心だったといわれる松本清張が見た(かもしれない)桜をぜひご覧ください。
リニューアルしたJR香椎駅
香椎川沿いの遊歩道からの景色
JR香椎駅は、平成31年3月にリニューアルされました。香椎宮の鳥居をモチーフにしたデザインが特徴的です。
JR・西鉄香椎駅から南に少し歩くと、香椎川があります。香椎川沿いの遊歩道はゆっくりとした時間が流れ、散歩にぴったりです。
キラキラ通り商店街
香椎灯明まつり
JR・西鉄香椎駅を中心として多くの商店が立ち並び、香椎宮の門前町として古くから商業が盛んな地域です。令和2年に土地区画整理事業が完了し、地域や地元商工会などが協働して、にぎわいのあるまちづくりの取り組みが進められています。
駅周辺では、香椎灯明まつりなどの様々なイベントが開催されています。
明治22(1889)年の町村制の実施で香椎・浜男・唐原・下原の4村が大字となり統一され、糟屋郡香椎村が発足しました。昭和2(1927)年、糟屋郡香椎町となり、昭和30(1955)年、福岡市に編入され、ベットタウンとして発展しました。
左から昭和49(1974)年、昭和54(1979)年、平成15(2003)の香椎
祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、住吉大神です。3世紀頃、仲哀天皇は国の内外を平定するため、神功皇后とともにこの地に橿日宮(かしひのみや)を営まれました。
香椎宮は、仲哀天皇9(200)年、神功皇后が、夫の仲哀天皇の霊魂を祭ったことが起源と言われています。全国に16社ある勅祭社のひとつで、毎年多くの参拝者が訪れます。
※区職員の個人的な意見です
香椎参道の入り口にある大きな鳥居
1番大きな楠を見つけました(当課調べ)
香椎宮参道は、頓宮から香椎宮まで続く1キロメートルの参道です。
大正15(1926)年、福岡県の各団体により165本の楠の献木祭が行われました。今では見事な緑の大木となり、通行人を和ませてくれています。また、参道にはおしゃれな飲食店が点在しています。
立派な楼門が参拝者を迎えます
門と、奥の鳥居を合わせて「開」に
香椎宮の楼門は、重層の桧皮葺(ひわだぶき)総欅白木造で、明治36年に再建されました。
楼門を通ると、一つだけ違う色の石畳があります。ここから楼門を見ると、楼門の中に鳥居が見え「開」という漢字に見えることから、開運スポットとして知られています。
葉が綾のように交互に生えていることから「綾杉」といわれます
樹齢約1800年にもなります
神功皇后が三韓より御帰還され剣・鉾・杖の三種の宝を埋め、そこに鎧の袖に挿していた杉枝を祈りを込め埋められたものです。古来よりその杉葉を宮中に献上しています。
香椎神宮の境内に、「鶏石神社」があります。ここは、全国でも珍しいニワトリを祭った神社です。
鶏石神社は、温めたたまごがかえるように、念願だった諸事万端がいよいよ成就するご利益があるといわれています。また、ニワトリは朝日とともに鳴きますが、夜に聞くことはありません。このことから、子どもの夜泣き防止のご利益もあるといわれています。
香椎造の建築様式が目を引きます
香椎宮本殿の説明版
その複雑な外観は、外に類を見ない特異なことから「香椎造(かしいづくり)」といわれています。外観は朱漆を主体としますが、蔀戸(しとみと)は緑青塗り、車寄の木階には黒漆が塗られるなど、華やかな色彩も特徴の一つです。
香椎宮の起源についての説明が書いてあります
香椎宮の起源とされる神聖な場所
神功皇后がこの地に仲哀天皇の神霊を祭られたのが香椎宮の起源とされています。
また、香椎という地名は、古宮の敷地内に今もある「棺懸(かんかけ)の椎」に、仲哀天皇の棺を立てかけたところ、四方に香ばしい香りがしたことに由来しているといわれています。
「日本名水百選」になっている不老水
現在も湧き続けています
仲哀天皇・神功皇后の家臣、武内宿禰(たけうちのすくね)は、ここから湧き出る水を飲み300歳まで生きたともいわれています。長寿にご利益があることにちなみ、不老水は香椎宮の綾杉の葉とともに皇室に献上されてきました。
香椎神宮の境内には、ハートの模様をたくさん見つけることができます。
実はこれはハートではなく、「猪目(猪の目・いのめ)」と呼ばれ、仏教美術由来の魔除けのための模様なのです。境内を見回して見つけてみてくださいね。
立花山・三日月山は、東区の北東部に位置し、特別天然記念物のクスノキ原生林や立花城の史跡など、豊かな自然と歴史的資源がたくさんの魅力ある山です。
【登山の心構え】
登山道には歩きづらい箇所がありますので、ご注意ください。
危険生物(スズメバチ・ヘビ・マダニなど)には注意し、むやみに藪(やぶ)に入らないようにしましょう。
※区職員の個人的な意見です
三日月山からの景色
立花山からの景色
山頂からの眺望と、道のりがゆるやかで登りやすい両山は、子どもから高齢者まで広く親しまれています。また、福岡市中心部からも近いため、1日もあれば余裕をもって両山を巡ることができることも大きな魅力です。
三日月山からの日の出
立花山からの夕陽
両山とも、山頂から福岡市内を一望できるため、元旦は初日の出などを見に登山をする人でにぎわいます。体力は使いますが、登り切った達成感を感じながら見る景色は最高ですよ!
立花山・三日月山保全ボランティア「楽友会」の皆さん
土留め作業など登山道の整備を行います
三日月山・立花山保全ボランティア「楽友会(らくゆうかい)」は、「できる時に、できることを!」をモットーに、登山道の整備や環境保全活動を行っています。ボランティアは随時募集中です。
三日月山霊園横に位置する長谷ダム記念公園は、子ども向けの遊具や広々とした芝生などがあり、家族連れでにぎわいます。
多々良川水系の長谷ダムは、上水道専用のダムです。周辺には遊歩道が整備され、ウォーキングやランニングをする人が見られます。
※職員のオススメ度は、区職員の個人的な意見です。
大きな遊具があります
桜の時期は多くの花見客が訪れます
長谷ダム記念公園には、広大な芝生が広がっています。キャッチボールやピクニックなど、子どもから大人までのびのびと楽しみながら過ごすことができます。春には満開の桜が咲き誇り、桜の名所としても知られています。
三日月山の長谷ルートから見た長谷ダム
三日月湖にかかる赤い橋が印象的です
1993年に建設された長谷ダムは、堤の高さが53.8メートル、総貯水量4,850,000立法メートルの上水道専用のダムです。三日月湖をダム湖に持ちます。
毎年10月には、香椎下原校区で、水がめまつりが開催されます。
三日月湖の航空写真
ポンプの吹き出し口付近に河童がいます
長谷ダムは、多々良川下流の多々良取水場からポンプ揚水して汲み上げる珍しいダムです。
ちなみに、三日月湖を何と読むか知っていますか?「みかづきこ」ではなくて、「みかづきのうみ」と読むんですよ(プチトリビア)!
おつかれさまでした!また東区に来んね~!