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福岡市こども総合相談センター えがお館

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日本では、家族と暮らせない子どもたちの
約85%が施設で暮らしています

日本では、家族と暮らせない子どもたちの約85%が施設で暮らしています

子どもはみんな、深い愛情のもと、家庭で健やかに成長することが望まれます。しかし、親が病気になったり、亡くなったり、虐待などによって、産まれた家庭で暮らせない子どもたちがいます。

そのような子どもたちを抱きとめるもうひとつの家庭、それが「里親」です。

現在、乳児院などの児童福祉施設や里親の元で暮らす子どもたちは、全国で4万6千人くらいいます。日本の場合は、海外の先進国と異なり、そのほとんどの子どもたち(約85%)が施設で暮らしているのが現状です。

各国の要保護児童に占める里親委託児童の割合(2010年前後の状況)(%)

図:各国の要保護児童に占める里親委託児童の割合(2010年前後の状況: %)

厚生労働省雇用均等・児童家庭局家庭福祉課「社会的養護の課題と将来像の実現に向けて」
「家庭外ケア児童数及び里親委託率等の国際比較研究」主任研究者 開原久代(東京成徳大学子ども学部)(平成23年度厚生労働科学研究「社会的養護における児童の特性別標準的ケアパッケージ(被虐待児を養育する里親家庭の民間の治療支援機関の研究)」)
※ 日本の里親等委託率12.0%は、2011年3月末現在。里親の概念は諸外国によって異なります

子どもの成長にとっては、特定の大人と育まれた愛着関係がとても大切です。その愛着関係が将来、様々な人たちと信頼関係を紡いでいく基礎となります。

また、子どもたちが将来家庭をつくるときに参考にするのは、自分が経験した身近な家庭のイメージです。自身が家庭の中で過ごすことにより、将来の家庭づくりの大きなヒントとなります。

かけがえのない愛着関係を築き、身近なモデルとなる家庭の中であたたかく過ごせる状況をつくりだしていくこと。わたしたちが里親を推進している理由はそこにあります。

足りていない里親。知られていない里親。

子どもの養育を里親にお願いする時には、家庭環境や養育期間はもちろん、子どもの年齢や背景などと照らし合わせ、どこの家庭がふさわしいのか、見極めなくてはなりません。

そのためには、子どもの数の何倍もの里親が必要となります。

福岡市では、NPOとともに里親の普及・啓発活動を積極的に進めてきました。その結果、里親家庭で暮らす子どもたちの割合は増えてきましたが、まだまだ足りていないのが現状です。

「すぐには里親にはなれないけど、興味がある」
「まずは里親がどんな制度なのか知ってみたい」
「子どもたちの現状を詳しく聞いてみたい」
「自分はできないけれど、里親さんのサポートはできるかも!」などなど…

わたしたちえがお館では、里親を深く理解して頂いたり、関心を持って頂くための「出前講座」を開催しています。

どうぞ気軽にお声かけください。皆さんの地域へ出向きます。

里親・里子のみなさんからのメッセージ

養育里親・Aさん

20年前、私は女の子を出産し、母親になりました。初めて抱っこした赤ちゃんは、とても小さくて、壊れそうで、大切に育てなきゃと思いましたが、自分の子どもなんだ~という実感は、あまりわきませんでした。
おっぱいをあげ、おむつを替え、抱っこして語りかけ、そういう毎日を過ごしていくうちに、だんだん、だんだん赤ちゃんが愛しくなっていきました。
その時、私は思いました。親子にとって、血のつながりは関係ないな~と。親子にとって大切なのは、一緒に過ごす時間なんだなということを!
そして、昨年の夏、4才の男の子、S君に出会いました。我が家の4人目の子どもとなったS君は、時折はげしい部分もあるのですが、家族みんなに可愛がられ成長しています。S君との毎日は、笑いの絶えないとてもかけがえのない日々です。
20年前、赤ちゃんだった娘は、S君のおかげで、「子どもって可愛いね。自分も結婚して、子どもが欲しくなった。」と言うようになってくれました。
そして、今、私はまた、同じことを強く感じています。家族にとって大切なのは、血のつながりではない。一緒に過ごす、毎日毎日の時間が家族にしていってくれるのだということを。S君は今、私たちにとってとても大切な家族です。

養子縁組里親・Bさん

1歳10ヶ月になる娘と暮らし始めて1年が過ぎました。
転勤してきた私たちは、福岡市の里親制度の手厚いサポートを知り、養子縁組里親の登録をしました。そしてフォーラムや里親サロンを通じて、里親の先輩、同じ思いを持った仲間と出会うことができました。これまでのつらい経験や子どもがほしいという切なる願いを共感できる場があったことが、いつになるか分からない養子縁組を待ち続ける心の支えになったことは間違いありません。
そして、乳児院でのボランティアをするうちに、里親委託のお話をいただいた時は、夢のように感じました。突然現れた私たちに、乳児院で育ってきた娘は、最初のうち顔を合わせるたびに大泣き。本当に家族になれるのか、育てていくことができるのか、そんな不安も、今思い返せばほんの一時だけでした。すくすくと育つわが子のスピードに、毎日が笑顔と驚きの連続です。
私たちがこの子と家族になることができたのは、多くの人の支えと応援があったからです。そして、様々な思いや経験を共有できる仲間がいることで、これから先も、なにがあっても乗り越えられると信じています。最後に、里親という家族の形が、家族を必要とする子どもたちにとっての選択肢として広く認知されることを心から願っています。

元里子Aさん

私は高校3年の時、Bホームの一員になりました。
初めてホームのみんなと会った時は、何とも言えない感覚でした。ふと思ったのは、それぞれに色々な事があってこのホームに居るのに皆笑顔だということです。
最初の頃は「お父さん」「お母さん」と呼ぶ事にも違和感があり、すぐには呼べませんでした。でも毎日を過ごしているうちに家の雰囲気にも慣れ、少しずつ皆と打ち解け不安な気持ちもなくなってきました。皆がなぜ自然に笑顔で楽しく過ごせるのか、それはお父さんお母さん周りの人がホームの一人一人の事を真剣に考えて一番良い方向に導いてくれるからです。
叱る時はしっかり叱り、悩んでいるときは一緒になってその悩みを解決してくれます。今の私にとってホームの皆は大切な家族であり、このホームは安心できる居場所になりました。
高校を卒業して委託が終わった今でも家族の一員として受け入れてくれている事は、私にとってすごく幸せなことです。
心から感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

元里子Bさん

私は6才から大学卒業までを里親家庭で過ごした元里子です。今、私には夫と子どもという家族がいます。私の実家は里親夫婦のいる場所で、里親夫婦は私の子どもの祖父母です。
3度の食事は何も言わずとも出てくるうえに、一人きりで食事をとることはない、毎日学校に行き、学校から帰れば友達と遊んだり習い事に行ったりする。悪いことをすればとことん叱る大人が家にいて、頑張ったら努力を認めてくれる大人が家にいる。6才からの私はそんな環境で生活していました。
どんな理由であってもお母さんと一緒に過ごせないというのは、子どもにとって心細いものです。いくら整った環境が与えられても、不安な気持ちは消えません。私は、その気持ちからくる様々な行動を全て受け止めてくれた里親と、ゆっくりゆっくり家族になりました。
そんな家族がいると、守られているようで安心します。子どもの頃の私は、自分の力を「自分で自分を守る力」「一人で立っていられる力」としてではなく「自分の目指す自分へと向かう力」として使うことができました。自分の将来に期待しながら生活できたのです。
私は今、夫と子どもと家族を育んでいます。子ども時代を安心して過ごせていなかったら、きっと私は家族をもつ勇気がなかったと思います。家族をもてたのは私に家族があったからです。
私の願いは、冒頭の自己紹介を見て「何を当たり前のことを言っているんだ」と思う方が増えることです。2世帯家族、核家族、母子家庭、里親家庭、いろんな形の家族があります。里親家庭が特別なものではなく、家族の在り方の1つとして多くの方に認識され、どんな子どもも毎日安心して眠れることを望みます。