応神天皇、神功皇后、玉依姫命を祀り、日本三大八幡宮に数えられます。厄除け、勝負運などのご利益があるといわれ、プロ野球チームが、毎年お参りに訪れます。
※区職員の個人的な意見です
創建、延喜21(921)年。その後、元寇や兵乱により興廃があり、現存する本殿は、1586年に大宰大弐大内義隆により再建されました。荘厳な建物は、国指定重要文化財です。
金色の文字で「敵国降伏」と書かれています
文禄3(1594)年、筑前領主小早川隆景が建立。「敵国降伏」の額を掲げていることから、伏敵門をも呼ばれています。扉の太閤桐の文様刻は、日光東照宮の「眠り猫」で有名な左甚五郎の作と伝えられており、国指定の重要文化財です。
参道に立ち並ぶ露店で有名な放生会は、「万物の生命をいつくしみ、殺生を戒め、秋の実りに感謝する」お祭りです。名物の「社日餅」や「新ショウガ」など他では見られない露店を眺めると、秋の訪れを感じます。
春は梅やしだれ桜、夏はアジサイやユリ、秋は紅葉、冬はボタンと、四季折々の花を楽しめます。
本殿近くにある一之鳥居は、慶長14(1609)年、藩主黒田長政が建立した、国指定重要文化財です。
国道3号線近くにあった大鳥居は、昭和5(1930)年に一之鳥居を模して造られたもので、老朽化により、平成30(2018)年に解体されました。
筥崎宮の手水舎の横にある「湧出石」は、古くから「国に一大事があるとき、地上に姿を現す」と言われていました。
この石に触れると運が湧き出るといわれており、運気アップ、招福開運を願ってみてはいかがでしょうか。
恵光院には、市指定の重要文化財である仏像や豊臣秀吉や千利休らが茶会を行ったとされる燈龍堂があります。6月上旬頃には菩提樹が見頃を迎え、境内が甘い香りに包まれます。また、見頃に合わせて「菩提樹まつり」も開催されます。
綺麗な黄色の花を咲かせる菩提樹は見ものです
箱崎・馬出地区には、絵画や音楽、写真など様々なアートを楽しめるギャラリーやカフェがあります。
箱崎水族館喫茶室は、福岡産の食材にこだわった喫茶メニューとともに、音楽を楽しめるアートスペースです。店名の由来は、かつて筥崎宮そばにあった「箱崎水族館」で、お店の方の曽祖父が館長を務められていたご縁で名付けられたそうです。
※区職員の個人的な意見です
総合研究博物館がある九州大学箱崎サテライトは、明治44(1911)年から平成30(2018)年に西区の伊都へ移転するまで、約110年間、九州大学の中心でした。移転後も箱崎サテライトには、旧工学部本館に大学文書館と総合研究博物館、第3庁舎に埋蔵文化財調査室が活動を続けています。
※区職員の個人的な意見です
旧工学部本館を含めた、旧九州帝国大学近代建物群は、令和5(2023)年3月に登録有形文化財に登録されました。
アンモナイト、貝類標本、昆虫標本、骨格標本、鉱物標本、考古学資料など、約155万点もの学術標本が展示されています。世界最大の昆虫やキリン、サイの骨格など見応えのある標本も展示されています。
博物館の活動領域を象徴するように、見る方向によって蝶の羽根、巻貝の断面図、木に止まった昆虫などの様々な形に見えるような形態になっています。
80年にわたって地域に愛されていた銭湯「大學湯」が、『創造の湯で心を洗う』をコンセプトに、コミュニティ・レンタルスペースとして生まれ変わりました。東区出身アーティスト・銀ソーダ氏の活動拠点としても利用されています。
※区職員の個人的な意見です
ブックスキューブリック箱崎店は、1階は本が並び、2階には「カフェキューブリック」が併設されています。
カフェはギャラリーにもなっていて絵本の原画展や写真展を楽しめる空間となっています。
九州大学のキャンパスがあった頃、箱崎周辺は、多くの学生で賑わっていました。
現在の箱崎周辺には絵画や音楽、写真などの様々なアートを楽しめるギャラリーやカフェが点在し、学生街の文化の影響を感じることができます。
東区には、日本語学校が多くあることや、元々九州大学があり留学生が多くいたことから、市内で最も多くの外国人が住んでいます。箱崎や馬出周辺には、中華やベトナム、ネパール、ハラールフードなどの、スーパーではあまり見かけない食材を取り扱った商店や、現地の空気感が漂う飲食店が点在しています。
※区職員の個人的な意見です
延喜3(903)年に創立されたといわれている翁別神社(おきなわけじんじゃ)は、武内宿祢(たけうちのすくね)を祀っています。鳥居の左奥には、「鏡の井」と呼ばれる井戸があります。これは、元慶4(880)年に生まれた美しい十六夜姫(いざよいひめ)が水鏡にして髪をとかし、身だしなみを整えていたという伝説が残っています。
※区職員の個人的な意見です
九州大学病院を含むキャンパス内は、緑も整備され、散歩を楽しみながら、様々な歴史的名所を見ることができます。
※区職員の個人的な意見です
天生15(1587)年、豊臣秀吉は九州遠征の時に、筥崎宮に20日あまり滞在していました。小寺休夢(黒田如水の叔父)らと和歌を詠じ、千利休や神屋宗湛(かみやそうたん)と茶会を開きました。利休は箱崎松原の松の枝に鎖をかけ、小釜を吊り、松葉を焚いて、茶をたてたと伝えられています。
長塚節は、正岡子規の門下生として短歌を学び、短歌雑誌『アララギ』の創刊に携わった歌人・小説家です。執筆活動に励んでいましたが、咽頭結核を患い、九州大学病院の名医・久保猪之吉の治療を受けるために九州にやってきました。入院中も制作を続け、発表された『鍼の如く』の中に記されている歌の歌碑があります。
昭和8年、福岡市で初めて動物園が、現在の馬出小学校付近に開園しました。ライオンやゾウなど多くの動物たちが飼育され、入園者で賑わっていましたが、太平洋戦争の激化に伴い、エサの不足や空爆の恐れから、猛獣類が処分され、昭和19年に閉園となりました。
旧動物園の名残が、「ゾウの門」や校内にある「クジラ池」の愛称で子どもたちに親しまれています。
※区職員の個人的な意見です
江戸時代にかけて、唐津街道の宿場町の箱崎宿(現在の箱崎・馬出地区)界隈は、筥崎宮の門前町と社家町、街道筋の商人町、海側の漁師町、馬出の曲げ物職人町として栄えました。
旧唐津街道沿いは、昔の面影を今に伝える町家が多く残されています。町家は、間口が狭く、奥行きが長い「うなぎの寝床」のような敷地が特徴です。町家を利用したパン屋やカフェなどが点在しているので、散策してみてはいかがでしょうか。
※区職員の個人的な意見です
この街道は、福岡藩の他、唐津藩、平戸藩、大村藩、対馬藩などの参勤交代の道で長崎街道に次ぐ街道でした。
唐津街道の名残を示す石碑「群境石(ぐんきょうせき)」が残されています。これは、那珂郡と表糟屋群の境であることを示しています。
九大前から姪浜を通る貫通線と貝塚から新博多を通る貝塚線の2つの路線が箱崎・馬出エリアを通り、生活に欠かせないものになっていました。
現在は2つの路線は廃止されましたが、現在もその名残を見ることができます。
町家が点在するエリアの中に、「馬出通り」というバス停があります。現在この地には、路面電車が通っていた頃の安全地帯の石畳を見ることができます。
路面電車の馬出電停から箱崎電停までの軌道跡は、現在全国的にも珍しいバス専用道路となっています。