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貝原益軒像(福岡市博物館所蔵)
黒田長政を初代藩主とする福岡藩の時代は260年余りに及び、その間に多くの優れた学者を輩出しています。「養生訓(ようじょうくん)」で知られる貝原益軒(かいばらえきけん)もその一人です。「養生の術を学んでよくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり」など、現代にも通用する健康についての教えを残しています。益軒は、寛永7(1630)年に福岡藩士・貝原寛斎の五男として城内で生まれました。幼い頃から読書好きで儒学を学び、長崎では医学を学びます。明暦2(1656)年、3代藩主の光之に仕え、その命により京都で朱子学を学ぶと、後に歴史学や地理学、医学、本草学など、さまざまな分野で才能を発揮し、名声を高めていきました。また、旅好きだった益軒は多くの紀行文を残しています。夫人と連れ立って旅行する姿は当時としては珍しく、愛妻家だったことが分かります。益軒は老年になっても健康維持に努め、84歳で「養生訓」を出版し、翌年85歳でその生涯を終えました。江戸時代前期としては驚くべき長寿でした。益軒の著書は「養生訓」のほか、薬用植物などを記した「大和本草」、地誌「筑前国続風土記」が有名です。また、その博識から東洋のアリストテレスともいわれています。益軒の墓と銅像は金龍寺(今川二丁目)に、屋敷跡の碑が荒戸一丁目に残っています。
市政だより中央区版 令和7(2025)年2月15日号に掲載されました。