平成25年11月14日(木曜日)、簀子公民館にて「区長もかたろう会」を開催しました。
区長もかたろう会とは、区長が区民とひざを交え活動に参加し、区行政や地域課題について意見を交換し、話し合いを通して、その内容を今後の区政への参考とすることを目的とする広聴事業です。
今回は、簀子校区の歴史を再発見する団体「簀子よかまち再発見」の皆さんと一緒に、作成したマップを見ながらまちあるきをし、その後、意見交換を行いました。
簀子小学校は平成26年4月に「舞鶴小・中学校」として統廃合され、102年という長い歴史に幕をおろします。これを機に、簀子校区に住む子供たちに「簀子」のよかとこを伝えたい!そして簀子に住む人たちにもう一度簀子の魅力を再発見してもらいたい!という熱い思いから、平成24年6月、「簀子よかまち再発見」の事業がスタート。毎月1回、簀子の歴史を学び、街歩きをし、見て、聞いて、感じて、地域住民や子供たち、のべ100人が参加しました。
さらに、活動で再発見できたことを、永く広く伝えていくために、簀子自治連合会・大手門商店街・簀子公民館の協力により、「簀子よかまち再発見マップ」も作成。マップは、平成25年12月8日、簀子校区自治連合会50周年記念式典にてお披露目されました。マップは約1万部作成し、校区内の全家庭と商店街にも配布する予定です。
完成したマップ
完成した「簀子よかまち再発見」のマップを見ながら、簀子のまちを散策します。メンバーは簀子のまちの「よかとこ」を熱心に区長に説明しました。
底引き網漁船の金色のスクリューがモニュメントとして飾られているかもめ広場。このモニュメントは福岡の水産業を支えてきたこの地域の輝かしい功績を讃え贈られたそうです。かもめ広場のすぐ北側には福岡最初の飛行場「水上飛行場」がありました。また、平成17年、福岡県西方沖地震により仮設住宅が建てられ、被災された方々が避難生活を送りました。
昭和20年6月19日の福岡大空襲でとりわけ被害が大きかった簀子校区。校区内にて176名の方が犠牲となり、多くの方々がこの地で火葬されたといいます。昭和22年6月19日、簀子公園には校区有志によって戦災死者供養塔が建てられました。またこの戦災で焼け残った赤レンガは、簀子小学校と簀子公園を隔て、高さ1.3メートル、長さ90メートルにわたり築かれています。この2つは、福岡大空襲の貴重な遺構です。
黒田官兵衛ゆかりの地。官兵衛の正室であり、福岡初代藩祖、黒田長政の母「光姫」が創設した圓應寺(えんのうじ)。黒田家の菩提寺でもあります。
圓應寺には照福院殿(光姫)供養碑があります。福岡大空襲により崩れたため1980年に再建築されました。黒田二十四騎及び縁者の墓もあります。
かたろう会では簀子のまちに対する熱い思いを皆さん語っていただきました。簀子の魅力を住民や子ども達、またたくさんの外来者に伝えていきたいと、熱心に話していました。
大和中央区長も、皆さんの「見て、歩いて、町の魅力を再発見する」という素晴らしい取り組みに感銘していました。
等の声をいただきました。
区長も実際に簀子のまちを歩き、その歴史を感じ、簀子の地域の方々の町に対する愛着をひしひしと感じるかたろう会となりました。
などの声をいただきました。
夏休み期間の暑い時期、子供たちは簀子の歴史を学び、実際にまち歩きを楽しんだ3日間のワークショップでしたが、みんなとても元気に参加してくれました。見て、歩いて、ためになる歴史があるまち「簀子」を満喫しました。