本事業は、博多駅を南東に約600メートル移転して高架拡張し、新駅周辺を市の玄関口にふさわしい市街地とするため都市改造を主眼とし、昭和33年に事業の着手をしました。本市の陸の玄関口である博多駅は、明治42年に移転開業以来、戦後の混乱期を過ぎる頃になると駅舎も老朽化し機能の低下が顕著となってきました。そこで、同駅の高架移転拡張及び新幹線導入に伴う用地確保と新駅周辺の市街地形成を二大目的として本事業を実施することとし、4次にわたる事業計画の変更を経て、道路、公園、広場など公共施設の整備改善と宅地の利用増進を図り、昭和48年に事業は完了しました。 さらに、「九州の陸の玄関口」にふさわしい都市景観を備えた市街地とするため、新駅周辺地区において高層建築物の設置に関する条例を定め、高層建築物の建築促進や各種公共建築物の誘致等、積極的施策を講じたことにより、今日、駅周辺地区においては高層ビル街を形成しています。
このように、総面積約270万平方メートルを対象とした本事業は今日の博多駅周辺の発展の基礎を築き、天神と並ぶ都心部形成の礎となったことは画期的なものといえます。
工事着工前の事業区域内風景(昭和35年7月6日)
大博通り(平成7年7月27日)
267.0ヘクタール
昭和32年度~昭和53年度
11,315,000千円
18.43%(公共 14.60%,保留地 3.83%)