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宮崎安貞の書斎・墓    <県指定史跡>

写真:宮崎安貞の書斎・墓


  江戸時代前期の農学者。安芸の国(広島)で生まれ、25歳の時、福岡藩主 黒田忠之につかえました。30歳を過ぎたころ、筑前黒田藩の山林奉行2百石の職を辞し、近畿・中国地方を巡って各地の農業事情や農作物の特性、栽培技術を研究しました。その後、筑前に戻り、自分の知行地であった女原(みょうばる)村に居を構えて、以後40年間周辺の村人と共に農業に従事し、池を作ったり、現在も「宮崎開き」の地名が残るほど、積極的に開墾(かいこん)事業も行いました。農地を開墾するなどの指導を行い、元禄9年(1696)近世農業技術の指南書といわれる「農業全書」十巻を完成させました。これは、水戸光圀も絶賛したといわれる書籍で、江戸時代から明治時代まで約2百年間にわたるベストセラーとなりました。
  この書斎は、一部手を加えられていますが、安貞の書斎として当時をしのぶことができます。右側にある顕彰碑は、明治21年、宮崎安貞翁を顕彰するため徳永に建てられたものを昭和62年3月宮崎安貞顕彰会の人々の尽力により移築されました。


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