白水養禎の墓(しろうずようていのはか)

福岡市早良区内野


当時、財政が逼迫していた福岡藩の天保財政改革の立案者。
49歳の時、藩財政の改革意見書が家老・久野外記の目にとまり翌天保五年(西暦1834)改革当事者として名も要左衛門と改め御救奉行に就任。
斬新な改革案が実施されたものの功を奏せずに終わりました。
その後、苦節の日々を送った後に内野村(現在の早良区内野)へ戻り、寛永二年(西暦1849年)に68歳の生涯を閉じました。



画像:白水養禎の墓(1)



詳細地図