本文へジャンプ
ふりがな 元に戻す
閉じる
福岡市早良区板屋
解説板によると、菅原道真公が脊振山麓を越えて鳥栖経由で大宰府に向う折に、藤原氏の追手の刺客から逃れるために板屋へ逃げ込まれました。 その時に親切な板屋の民家に同伴の子どもを預けたのですが、その子孫が後に奉納したといわれるのが、社に安置されている像だそうです。 中央が道真公で母と妻を左右に配置した3体が2式あります。また、他の伝説によると、中央は道真公ではなく弟の時実との言い伝えもあるようです。