山伏大教坊の墓

福岡市早良区脇山1678


 山伏大教坊は荒平城の戦いの際に、当初は小田部勢側でしたが、小田部氏との確執で途中から龍造寺側につきました。
 小田部勢の内情に詳しい大教坊の策略で荒平城への水路が断たれ、小田部勢は窮地に立たされてしまいました。
 背水の陣の小田部勢は城を出て攻め降り、大教坊を討ち取りました。しかし、多勢の龍造寺本隊の前には力及ばず、敗退していきました。
 脇山の池田地区にある大日堂に向って右手の緩やかな斜面にこの大教坊の墓がひっそりと建っています。



画像:山伏大教坊の墓(1)



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