福岡市早良区・荒平山
早良平野を貫流する室見川(早良川)上・中流域の東西丘陵や山頂には、荒平城をはじめ飯盛城、都地城、曲淵城など平野の要所を占める中世山城が知られています。荒平城は油山の一支山である荒平山(標高392m)にあり、豊後の戦国大名大友氏の配下にあった小田部民部大輔鎮通が、天文22年~天正7年(1553~1579)の間、居城としました。
山頂を本丸(方30間)とし、その下の尾根部分を二の丸(方15間)としています。天正7年、肥前龍造氏に攻められ落城。
なお古文書にはこれより以前の寛正6年(1465)、文明10年(1478)に荒平城のことが見えています。 現在も堀切、石垣、土塁などが残り、本丸跡には安楽平城跡の碑が建っています。