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鹿垣(ししがき)

写真:鹿垣

 江戸時代、能古島は黒田藩の鹿の猟場で、最盛期には約600頭の鹿がいました。その鹿が田畑の作物を荒らすため、天保7(1836)年、東西2kmにわたる石垣が作られました。この石垣を鹿垣(ししがき)といい、高さは2m、その前面には幅3mの溝が掘られ、鹿の南下を防ぎました。
鹿狩りには、幕末にはイギリス人も訪れ、グラバー一行も来島したといいます。明治初期以降は鹿もすっかり姿を消してしまい、大正初期に、もう一度村の名物にしようと、屋久島から9頭を移入するも、終戦直後に占領軍の将校たちが狩りに来るようになり、昭和21年頃から鹿はいなくなりました。鹿垣は今でも一部が残り、これだけの規模で残っているのは全国的に見ても珍しいといわれています。



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