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寛政年間(1789~1801)の火事で古い記録を失ったので詳しいことは不明ですが、慶長7(1602)年の検地帳に記されていることから、それ以前の創建とみられます。禅宗の寺であり、明治の初めまでは、能古島の白鬚神社の宮寺(神社に付属して置かれた寺院)である神宮寺と呼ばれていました。 境内には地元出身の洋画家多々羅義雄(1894~1968)の歌碑や、昭和21年に遭難し島の人など28人の犠牲者を出した能古渡海船の慰霊碑と二八観音があります。