「日本書紀」に登場する壱岐値真根子(いきのあたいまねこ)をまつる神社です。武内宿禰(たけのうちのすくね)(大和朝廷の初期に活躍したという伝承上の人物)は、都を留守にしている間に反乱の罪を着せられましたが、応神天皇の刺客に殺されようとしたとき、その身代わりとなったのが壱岐値真根子でした。やがて無実であることがわかり、壱岐真根子が自分の命を犠牲にしてまで武内宿禰につくしたことから、ここに祭神としてまつられました。
また、伝説では、生の松原の地名は、神功皇后が三韓出兵の折、松の小枝を逆さに挿して、戦勝を祈ったとき、その松が不思識なことに生きて栄えたことから名付けられたと伝えられています。後年その松は逆松といわれていましたが今は枯れ、幹だけが壱岐神社に奉納されています。