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更新日: 2017年1月13日

福岡市水道の歩み、水道統計


1923(大正12)年、上水道創設1923(大正12)年、上水道創設

明治も中期になると、福岡市に周辺の町や村から多くの人が集まってきました。人口の増加と生活の近代化は、水需要の増加だけでなく、市民の日常生活に欠かせない井戸水に悪い影響を及ぼすようになりました。

福岡市の上水道は、市制を施行した1889(明治22)年の英国人技師ウィリアム.K.バルトンによる調査報告から20年を経過した1909(明治42)年、創設計画の第一歩を踏み出しました。以来、幾多の紆余曲折を経て1923(大正12)年3月1日、着工から7年もの歳月を要した曲渕ダム、平尾浄水場をはじめとする一連の施設(計画給水人口12万人、施設能力一日最大15,000立方メートルの規模)が完成し、本市の水道事業がスタートしました。


荷車で売り歩かれた「松原水」の画像

荷車で売り歩かれた松原水


1896(明治29)年水道事業のはしりともいえる市設の井戸を東公園(福岡市博多区)の松原に掘り、飲料とし市の許可を得たひとが荷車を引いて松原水を売りました。


曲渕ダムの写真

曲渕ダム

御影石の切石で覆われ、そのたたずまいと格調の高さが、時代の重みを感じさせ、昔日の苦労のあとをしのばせます。

また、緑に囲まれた景色は美しいものです。1985(昭和60)年には、厚生省(現、厚生労働省)の記念事業である「近代水道百選」の一つに歴史的、技術的に価値ある水道施設として選ばれました。
また、2009(平成21)年3月に福岡市有形文化財(建造物)に指定されました。



水道の普及

1923(大正12)年の創設時、福岡市の総人口143,000人のうち35,000人への給水から始まった水道事業ですが、その後、水道の便利さや衛生面で優れている点などが認められ、また市町村合併による都市化の進展などによって、需要が急速に増えてきました。


上水の栞(しおり)の画像

上水の栞(しおり)

「コレラでも、チブス赤痢も何のその、水道ひけば家内安全。・・・」
水道のことがよく知られていなかった当時、市民に水道の良さを宣伝し利用を呼びかけました。



戦災からの復旧、そして水源開発

1945(昭和20)年6月の福岡大空襲による大量の漏水は、懸命の復旧工事によって減少しつつありましたが、1948(昭和23)年時点においてもまだ相当量の漏水があり、さらに需要量の増加とも相まって安定した給水の実現には程遠い状態でした。

戦後の市町村合併や経済成長に伴い、福岡市は都市化による人口の集中が進み、水需要は増加の一途をたどりました。この間、取水事業を中心に新たな水資源確保のための拡張工事を続けましたが、抜本的な対策としてダムを建設していくことになりました。


江川ダムの写真

広域利水のはしり 江川ダム

江川ダムは、水資源開発公団(現、水資源機構)の手によって施工されることになり、これを機会に本市は、江川ダムからの取水を第9回拡張事業として着手し、1972(昭和47)年に完成しました。



「節水型都市づくり」の原点 1978(昭和53)年、未曽有の苦難

1978(昭和53)年には、福岡管区気象台創設以来89年ぶりと言われた大干ばつとなって、実に287日間にも及ぶ長期の給水制限を余儀なくされました。
福岡市は”水は限りある貴重な資源”との強い認識のもと、「水の安定供給」と「節水型都市づくり」を基本方針として様々な施策を推進していくことになります。


バケツに給水を受ける市民の写真


バケツに給水を受ける市民

1978(昭和53)年の渇水では、給水時間でもじゃ口から水が出ない地域があり、給水車に行列ができる事態が起こりました。



水管理センターの写真

安定給水に大きく貢献する水管理センター

渇水の経験を踏まえ、市内全域に対する公平で円滑なじゃ口からの給水などを目的として、浄水場からじゃ口までの水の流れや水圧をコントロールする「水管理センター」が、1981(昭和56)年に完成しました。




1983(昭和58)年、永年の夢かなう筑後川受水 水の安定供給に向けて大きく飛躍

1983(昭和58)年、水道創設以来、本市の永年の夢であり念願であった筑後川からの導水が、流域の住民・関係団体などの理解と協力を得て実現しました。
安全で良質な水の安定供給に向け、新たな水資源確保だけでなく、さらに水の有効利用を進め、水源地域や流域との相互理解・連携を深めていくことが、ますます重要な時代になっています。


筑後大堰の写真


筑後大堰

1983(昭和58)年より福岡市は、筑後大堰地点より取水された筑後川の水を、福岡地区水道企業団の牛頸浄水場を経由して、水道用水として受水しています。



2005(平成17)年、気象条件に左右されない海の中道奈多海水淡水化センターからの受水開始

海の中道奈多海水淡水化センターの写真

二度の大渇水の苦い経験をもとに、新しい水資源の開発が福岡都市圏の共通の課題とされてきました。
そこで、近年の少雨傾向などの気象条件に左右されることなく安定的に給水するため、福岡地区水道企業団が事業主体となった「海の中道奈多海水淡水化センター」が2005(平成17)年3月に完成、同年6月から受水を開始しました。

今後も、限りある水資源の有効利用に努めながら、安全で安心して飲める水の安定供給に向けて施策を推進していきます。



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