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明治時代末から大正時代にかけて、活躍した考古学者の一人に中山平次郎がいます。
平次郎は、明治4(1871)年に京都で生まれました。中山家は宮中で医師を務めてきた家で、平次郎は明治39(1906)年に福岡医科大学(現在の九州大学医学部)の初代病理学教授として赴任しました。
専門とする医学の傍ら、考古学を志した平次郎の功績の一つに、鴻臚館(こうろかん)の福岡城内説の提唱があります。鴻臚館は国内外の外交使節のための饗宴(きょうえん)・儀式・宿泊などの機能を備えた施設でした。平次郎は、「万葉集」の歌の内容と博多湾の海岸線の位置から、福岡城内に鴻臚館があったと推測し、現地を調査して古代の瓦や陶磁器などを発見し、鴻臚館が福岡城内にあったと証明しました。現地で集めた遺物などの「モノ」と、資料や文献など記録された「情報」のつながりを考え、古代社会を読み解き、平次郎はこのほかにも、国宝「金印」の出土地の推定、蒙古襲来に備えて築かれた石築地を「元寇(げんこう)防塁」と名付けるなど多くの功績を残しています。
生涯独身で、山野を歩き回ったり、渓流釣りをしたりして趣味を謳歌(おうか)かし、昭和31(1956)年に84歳でその生涯を終えました。
なお、鴻臚館跡展示館(城内)では、出土品や復元建物を見て、歴史を感じることができます。
市政だより中央区版 令和8(2026)年2月15日号に掲載されました。