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福岡城跡の南西角にある多聞櫓
平櫓内部。部屋と部屋の間に通路が設けられている(非公開)
福岡城は関ケ原の戦いで功績を上げた福岡藩初代藩主・黒田長政が、徳川家康から筑前国(福岡県北西部)を与えられ、父・官兵衛と共に築城しました。城内には47の櫓(やぐら)があったといわれています。中でも多聞櫓は、築城当時の位置に現存している唯一の櫓です。昭和46(1971)年に国の重要文化財に指定されました。
多聞櫓とは石垣や門の上などに続く長屋の形の櫓で、敵の侵入を防ぐために造られました。
福岡城の多聞櫓は南北両端に建てられた二層の隅櫓と、それに連なる54メートルの平櫓で構成されています。平櫓は、嘉永6(1853)年から翌年にかけて改修されたことが分かっています。
櫓は瓦葺(かわらぶき)、壁は土壁で頑丈に造られており、外壁の下半分には黒い下見板が張られています。壁には鉄砲を撃つための小窓「鉄砲狭間」が、床には石垣の下に迫った敵を撃退する穴「石落とし」が備えられていました。
江戸時代中期には、平櫓の内部は10を超える小部屋に分けられ、倉庫として使われました。その後、陸軍の兵舎として使われるなど、戦前から戦後にかけてさまざまな用途に利用されました。
平成30年3月には2年間にわたる保存修理が終わり、江戸時代から続く勇壮な姿を伝えています。
市政だより中央区版 令和7(2025)年6月15日号に掲載されました。