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八兵衛地蔵の写真(成道寺)
元禄7(1694)年の年の暮れ、須崎であわや大火になろうかという火事があり、各町から町火消しが出動しました。
火はまもなく消し止められましたが、唐人町の火消しと、別の町の火消し同士がけんかとなりました。
その結果、相手の町の火消しに被害者が出てしまいました。
次の日、けんかをした火消しは奉行所まで出向くよう町奉行から求められ、唐人町の人々は困り果てました。
この事を知った唐人町の森八兵衛という浪人が「独り身の自分が罪を引き受ければ、父母妻子のある人が命を亡くして、家族を悲しませなくてもすむので、代わりに罪を引き受けよう」と町の人々に申し出ました。
人々は戸惑いましたが、本人の意志は強く八兵衛は身代わりとなり処罰されました。
人々は、八兵衛に後世まで弔いを絶やさないことを誓い、後に建立されたのが「八兵衛地蔵」です。
現在では、消防の守り地蔵としてもあがめられています。
毎年8月には成道(じょうどう)寺内において八兵衛地蔵尊消防祭りが催され、地域の人々に親しまれています。
市政だより中央区版 令和6(2024)年6月15日号に掲載されました。