入部校区は、早良区の南部に位置しています。南北約3.5キロメートルと縦長い地域で、校区内には早良区役所入部出張所があります。南側に脊振山系、東側を油山山系に囲まれ、中央西側に広大な農地、その西側に室見川が流れる自然豊かな校区です。稲作の他、キャベツをはじめとした野菜栽培が盛んです。
一方、校区北部では、地下鉄七隈線の開通や周辺道路の整備が進んだことによりアパートやマンションが増加し、子どもを持った若い世帯が増加しています。
また、南北に広い入部校区には、11の町内会があり、各町内では、伝統行事や地域の特性に応じた各種行事が活発に行われています。自治会や町内会については、こちらをクリックしてください。
入部校区紹介動画「入部のまちあるき」
ニュースポーツ大会、人権フェスタ、ウォーキング大会、
八女西部クリーンセンター視察の様子
令和4年11月に初の試みとして、入部校区・四箇田校区・金武校区の三校区合同交流発表会を公民館主催、自治協議会共催で開催しました。活発なサークル活動の発表の場として、また、金武中学校区となる3校区での合同行事により、新たな交流の場ができました。
地域の防火・防災に関する意識を高めるため、校区防災訓練を実施し、災害に強いまちづくりに取り組んでいます。
自治会・町内会の一般的な取組はこちらをご覧ください。
自治会・町内会の活動紹介チラシ(PDF) (2,907kbyte)
入部校区の南側・荒平山の麓に位置します。一仙道には、江戸時代享保の飢饉で水不足に苦しむ農民たちが、椎原川より農業用水を取水するために作った椿井堰があります。この水路は、自然河川と合流しながら早良平野を潤し、今でも大切な水路として共同管理されています。地下鉄野芥駅のシンボルマークは、この椿のデザインです。
他の町内に比べると世帯数の少ない町内ですが、2018年荒平地区が一仙道町内に編入され、世帯数が増えました。また、新築の家が建ち、町内会加入者も増えています。
荒平山の麓に位置する町内です。山頂には安楽平城(あらひらじょう)の跡があり、一歩山へ足を踏み入れると敵を防ぐための石垣らしき跡が点在しています。初代城主は、飯田幸松丸とのこと。町内に飯田姓の方が居られるので話を伺うと、城主の流れを継ぐとのことでした。
以前は南北に細長く室見川を跨いで平尾町内でしたが、早良小学校の設立により、川の西側地域は早良校区に編入されました。しかし、ソフトボールを通じて今も交流が続いています。町内の素晴らしいところは、イベント毎にバーベキューなどの打ち上げをし、地域住民が集まってみんなで盛り上がるところです。
老松神社の周囲に形成されている集落ですが、名前の由来は入部荘平野部の中央にあることから付いた名称だと思われます。町内会人口は小規模ですが、田畑の面積が大きく、入部校区では大きな町内面積を占めています。
老松神社では輪越しの出店が境内の両側・前面道路まで並び、青年相撲もあり賑わっていました。お通夜、それ以前には鸒替え(うそがえ)も行われていたようです。昔懐かしい行事の復活はできませんが、せめて輪越しだけでも他町内会と協力して賑わいを作れればと思います。
東は荒平山・西は早良平野に囲まれ田畑や山に恵まれた自然豊かな町内です。昭和31年に内野・脇山・入部の3ケ村が合併して早良町となり、熊本に早良町役場が建設されました。更に昭和50年福岡市と合併し、町役場があった場所に早良区役所入部出張所ができました。昭和50年後半、国道の拡幅工事以前は、道路の両端に商店がぎっしりと立ち並び、全ての用事が町内で賄えるほど賑わった地域です。
町内では、青年団・子ども会など地域の方々に見守られながら、子ども達が夏祭り・火祭り・獅子回し等の伝統行事に参加しています。
校区の西側に位置し、南は早良校区の長峰地区・北は金武校区の室見が丘団地・四箇田校区の四箇地区に挟まれた南北に細長い地域で、室見川の両岸に集落が点在する農村地帯です。
伊田尻橋から山手の方に行くと風情のある西音寺があります。また、下流にはかしわ飯の人気店、長峰地区との境には老舗の鶏料理屋があり、行楽客に人気のスポットとなっています。
春には大円寺で厄払いを兼ねた「藤ごもり」、夏には淡島神社の子ども奉納相撲があります。
入部小学校裏にあった原住宅と、40年以上前にその上の山が開拓され、急な斜面に密集して家が建っている町内です。山の中腹の木々の間に大きな桜の木があり、春になるとピンクの桜の花が町内を温かく見守ってくれています。
防災訓練・夏祭り・校区運動会とみんなで作り上げ、日常となった声かけの中で、豊かなふれあいのある町内になっています。町別学習会もとても熱心に取り組んでいます。
入部小学校の西側に隣接する町内です。町内の真ん中には西鉄バスの早良営業所があり、天神・博多行きの始発バスも多く便利です。
伝統行事として、明治初期より通夜という観音様の行事が続いてきました。小学3年生以上の男の子が参加し、中学生がリーダーとなって、大人の手を借りずに食事を作り、高学年は一夜を明かすという男の子の行事でしたが、現在は子ども会が小学生男女を対象に行っており、泊りはありません。夏祭りは納涼祭と称して、7月の土曜日に、観音様のお堂がある三郎丸公民館の広場に舞台を作り、町内を挙げて行っています。
昭和57年7月、西鉄の住宅開発が320区画を造成しました。開発される前のさわら台は茶畑が広がり、小学校でも茶摘みをしていました。入居開始から間もなく、さわら台子ども会には100人以上の児童が集まり、大変賑やかでした。
また、さわら台には、西・東・北の3つの公園があり、毎月第3日曜日に公園や周辺道路の清掃をするなどよく整備されています。犬の散歩仲間や山の会・ソフトボールの会などがあり、住民同士の交流が続けられています。団地の奥には早良厚生園があり、清掃活動や祭りなどで交流しています。
近年、高齢者夫婦や一人世帯が増え、ふれあいサロンやネットワーク活動が盛んになり、住民同士の支え合いが広がっています。
平重盛が留まったという言い伝えから、重留の名がついたと伝えられています。重留の宝満神社は709年に建立され、応仁天皇・玉依姫命を祭っています。重留町内は、荒平城主のもと敵の攻めを封じる町並みが残り、町中の道路はとても狭くなっています。町内には大きな3カ寺があり、一帯の繁栄がうかがわれます。林遠里氏が画期的な稲作改良法を考案し、明治16年勧農社を設立して農業の発展に大きく貢献し、今も小学校の校歌に唄われ伝えられています。町内の夏祭りでは、木組みの舞台や屋台も作って、子どもからお年寄りまで楽しんでいます。
重留新町はその昔、田んぼの中の20戸足らずの新村として誕生しました。現在は600世帯を超え、1区・2区・3区と3つの区割りで構成される入部校区最大の町内になりました。周りには、赤い鳥居の神社天神様・社日様があり、多くの商店・スーパー・飲食店が立ち並んでいます。町内一番の行事は、ふれあい夏祭りで、中でもイカ焼きは人気商品となって住民を楽しませています。有志による毎月のパトロールで防犯に努め、町内の安心安全に努めています。
約40年前に西油山の丘陵地を開拓した住宅地で、野芥校区と隣り合わせの地域です。近年、町内に新しい住宅地が開拓され、住居が増えて約320軒となっており、子どもがいる若い家族が増加している反面、高齢者も増えて世代構成が二極分化しています。新興住宅街なので、神社仏閣等の文化遺産はありませんが、自治会加入率は約95%と高く、町内夏祭りや様々な行事と役員・組長による毎月の自治会定例会を通して会員相互のコミュニケーションを図っています。坂道が多いため、買い物支援対策として「買い物支援バス」の運行と移動スーパー「とくし丸」による移動販売も実施しています。
ようこそ「入部(いるべ)」へ
このサイトでは、校区全体で活動する校区自治協議会及びお住まいの身近な自治会・町内会の活動状況をはじめ、入部校区紹介動画「入部のまちあるき」では、入部の地名の由来のほか、文化財の史跡など、歴史をたどる内容の動画が視聴できます。それにより、皆様に入部の魅力を広く知って頂き、より愛着を持って頂ければ、いろんな活動への参加者が増え、まちづくりに欠かせない人との繋がりの輪が広がり、みんなの願い「安全安心で住みよいまちづくり」へと発展していくことを期待しております。
住所:福岡市早良区東入部2-14-14
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