明石元二郎は、福岡藩士の家に生まれた軍人で、日露戦争での情報活動や第7代台湾総督としての功績で知られる人物です。

明治35(1902)年にロシア公使館付武官に転任した明石は、諜報活動をはじめ、ロシア国内でさまざまな情報を収集しました。また、ロシア国内の反政府勢力やフィンランドなどの独立運動を支援するなど、日露戦争における日本の勝利に大きく貢献したといわれています。
大正7(1918)年に第7代台湾総督に就任し、電力や港湾、鉄道などの整備を進めました。台湾の近代化に大きな功績を残しましたが、翌年55歳で亡くなりました。「自分の身に万一のことがあったら必ず台湾に葬るように」との遺言により、遺骨は福岡から台湾へ移され、埋葬されました。
郷土の偉人の功績を後世に伝えるため、令和4年、国道3号から筥崎宮参道に入ってすぐ左に明石元二郎の顕彰碑が建立されました。顕彰碑の横にある李(り)登輝(とうき)元台湾総統のメッセージには、「戦後台湾が経済的に大きく飛躍したのも、日本時代の基礎的な社会建設があったからこそ、といえる」と記されています。

「歩・歩・歩(さんぽ)・会」 奥永 茂晴