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【発行号】令和8年8月15日号【掲載面】東区版【カテゴリー】お知らせ

【東区】歴史 歩・歩・歩(さんぽ)会
ボランティアのおすすめスポット 志賀島のお台場(だいば)

「台場」は、江戸時代末期に異国船の来航に備えて各地に築かれた砲台で、要塞の一種です。幕府や各藩は、品川(東京)・弁天(函館)・堺(大阪)など主要な海岸に台場を設けました。

お台場跡の石垣の写真

福岡藩も、2度目のペリー来航後、藩内の海岸要地10カ所に台場を築く許可を幕府に願い出ました。現在の東区では、志賀島に台場が万延(まんえん)元(1860)年に完成し、翌年には大小7基の大砲が設置されました。

 

さらに志賀島と能古島の間約2kmの海上を大筏(いかだ)で封鎖できるよう、有事に備えた体制が整えられていました。また、玄界灘から異国船が侵入した場合、玄界島の遠見番が大砲を放って、それを志賀島・西戸崎へ伝え、福岡城内へ急を知らせる段取りが組まれていました。寺院の鐘などを合図に、武士は持ち場へ向かい、町人は避難することになっていました。

志賀島から能古島を望む博多湾の風景の写真

志賀島のお台場跡は、かつて金印公園へ向かう道の手前右側に、自然石列として残っていました。現在は、塀や木々に隠れ、わずかにその痕跡をとどめるのみです。

 

今日の博多湾では、多くの船が穏やかに行き交うなか、かつて海防の要地であったこの地の歴史を静かに伝えています。

 

「歩・歩・歩(さんぽ)・会」 加藤 徳生

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