日宋貿易と報恩寺
「歩・歩・歩(さんぽ)・会」 黒本 聡
平安時代の10世紀から鎌倉時代の13世紀にかけて、日本と中国の宋との間で盛んに行われていた日宋貿易は、博多の街を大いに発展させました。冷泉町や箱崎に加え、香椎周辺もまた重要な貿易拠点でした。

香椎宮の庇護(ひご)のもと、現在の香椎高校辺りには当時の船着き場があり、香椎宮の東にあった「老の山」には宋からの渡来人の居住区があったと考えられています。
1191年に留学先の宋から帰国した僧・栄西は、天皇の許しを得て香椎宮の境内に報恩寺を建立しました。この時、宋から持ち帰った菩提樹の苗木を香椎宮に寄贈しています。栄西が禅宗の一派である臨済宗を広めていく第一歩はこの寺から始まりました。香椎宮や宋の商人の後押しもあって、この場所を選んだと思われます。

報恩寺は残念ながら約400年後の1586年、島津の侵攻によって大半が焼失しましたが、1930年、円覚寺の猷山(ゆうざん)和尚によって再建されました。

静かな庭園の中心には菩提樹が枝を広げ、往時をしのばせてくれます。