【発行号】令和7年10月15日号【掲載面】南区版【カテゴリー】お知らせ

【東区】歴史歩・歩・歩(さんぽ)
ボランティアのおすすめスポット 元禄の堤防と大野貞勝(さだかつ)

現在の和白地区には、元禄16(1703)年に塩田開発のために築かれた「元禄の堤防」がありました。

 

これは、黒田藩の財政責任者だった大野忠右衛門(ちゅうえもん)貞勝が、第四代藩主黒田綱政(つなまさ)に進言し開いた塩田で、およそ30町歩余ありました。

 

その後、元禄の堤防は高潮で決壊し、塩田に大きな被害を受けました。藩は現在の海岸線まで干拓を進め、塩田を拡張し、和白の塩作りは明治42(1909)年まで行われました。

 

四社(ししゃ)神社の境内には、塩田を開いた大野貞勝について記された「四社神社由緒」があり、塩田守護のために白浜に建てられていた龍王の祠が移されています。

四社神社由緒の写真四社神社境内の龍王の祠の写真

現在、元禄の堤防は和白と奈多を結ぶ道路となり、その面影はありません。道路の両側には畑が広がり、福岡市のブランド野菜である和白ねぎなどが栽培されています。

 

この土地を切り開いた先人たちに思いを馳せながら、ゆったりと散策してみてはいかがでしょうか。
四社神社の地図

 

「歩・歩・歩(さんぽ)・会」 大村 浩二