【発行号】令和7年7月1日号【掲載面】西区版【カテゴリー】お知らせ

【東区】歴史歩・歩・歩(さんぽ)
ボランティアのおすすめスポット おんな城主、ぎん千代

福岡市、糟屋郡新宮町、久山町にまたがる立花山は、豊後「大分」の戦国大名・大友氏の軍事拠点でした。永禄12(1569)年、大友氏の重臣戸次道雪(べっきどうせつ)に、一人娘のぎん千代が誕生しました。男子の世継ぎがいなかったため、ぎん千代は立花城の後継者として刀・剣や兵法を学び、聡明な女性に成長しました。

立花誾(ぎん)千代肖像(三柱神社(柳川市)提供)の写真

天正3(1575)年、父道雪は大友氏に願い出て、ぎん千代に立花城の家督を継がせることを許可され、ここにわずか7歳の女城主が誕生しました。

 

柳川市にある「立花家史料館」には、道雪がぎん千代に宛てた譲状(ゆずりじょう)と、これを大友宗麟(そうりん)・義統(よしむね)父子が認めた書状が残っています。

 

立花家史料館の館長は「各地に女城主伝説、物語はたくさんあるが、一級の歴史文書に、女性が城主だったことが裏付けされているのはぎん千代だけで、これは素晴らしいことだと思う」と語っています。

 

その後ぎん千代は、13歳の時に高橋宗虎(立花宗茂)を婿として迎え、城主を譲りました。しかし宗虎との関係が悪化し別居、子宝にも恵まれず若くして病没したといわれています。

 

現在立花城の跡地には、石垣が数カ所残っています。立花山と、隣接する三日月山は、人気のハイキングルートとして市民に親しまれています。
立花城跡の地図

「歩・歩・歩(さんぽ)・会」 橋口 千鶴子