【東区】歴史 歩・歩・歩(さんぽ) ボランティアのおすすめスポット 長塚節(たかし)の歌碑


「歩・歩・歩(さんぽ)・会」
奥永 茂晴(74歳)

長塚節は、明治12(1879)年に茨城県岡田郡国生村(現在は常総市国生)に生まれました。当時の長塚家は、多数の水田や畑を保有し、農業経営を営む豪農でした。

節は、茨城尋常中学3年生の頃から不眠症に悩まされ、退学し、故郷に帰って自然に親しみながら作歌や旅をして健康回復に努めました。


長塚節さんの写真
<常総市教育委員会蔵>


その後、正岡子規の門下生として短歌を学び、短歌雑誌『アララギ』の創刊に携わりました。また、彼が執筆した長編小説『土』には、農民の生活が描かれ、これは農民文学を確立した作品といわれています。

執筆活動に励んでいましたが、明治44年(1911年)に喉頭結核を患いました。夏目漱石の紹介を受け節は、九州大学病院の名医・久保猪之吉の治療を受けるために九州にやってきます。

入院中も制作を続け、発表された『鍼(はり)の如く』には「しろがねの はりうつごとき きりぎりす いく夜をへなば 涼りかるらむ」という歌があります。この歌は入院中の夏の暑さや寝苦しさと生への回帰を詠んだものです。

懸命な治療を続けましたが、節は37歳という若さで亡くなりました。彼をしのんで、病院の歌愛好家によって昭和33年(1958年)にこの歌を記した歌碑が九州大学医学部(馬出三丁目)構内に建てられています。


歌碑の写真
<高さ約1メートルあります>
 








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