歴史 歩・歩・歩(さんぽ) ボランティアのおすすめスポット ダンべ船とダンベ弁天橋


「歩(さ)・歩(ん)・歩(ぽ)・会」
安部 光征(78歳)

大正9(1920)年、東洋一と呼ばれた名島火力発電所が稼働を始めました。火力発電所の候補地が検討される中、名島に決まった理由は、西戸崎、姪浜炭鉱に近く、燃料である石炭を鉄道や船舶で運ぶのに便利な場所であったからといわれています。当時は、高さ61メートルの大煙突4本から昼夜を問わず黒煙が上がり、国力を象徴していましたが、老朽化により昭和35(1960)年に廃止されました。

名島火力発電所跡の碑の写真
<名島火力発電所跡の碑>

石炭を発電所に運ぶ船はダンべ(団平)船と呼ばれていました。名島火力発電所で使用されていたものは、幅5メートル・長さ10メートル・高さ5メートルほどの大きさで、前後に2メートルの甲板があり、後部には畳1帖程度の木の舵が付いていました。
地元では、この船の船溜まりを「ダンべ」と呼んでいました。ダンべから名島城の内堀町へ抜ける水路があり、ここは発電所の用水池として利用されていました。その水路の名島海岸(黒崎浦)に架けてあった橋がダンべ弁天橋です。現在、水路は埋め立てられ、ダンべ船やダンべ弁天橋を見ることはできませんが、名島一丁目の道は「ダンべ弁天橋通り」と名付けられるなど今も親しまれています。

名島地図






 








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