「歩・歩・歩(さんぽ)・会」
山田 次男(70歳)
奈多地蔵堂(奈多二丁目)の隣に、「鯨学校跡地」と刻まれた石碑があります。
明治6(1873)年に創立された奈多小学校(現在の和白小学校)は、開校当時、校舎が無く、寺の本堂を借りて授業が行われていました。しかし、本堂の傷みがひどくなり、新校舎建設をしようとしましたが、資金不足で難航していました。
資金確保に目途が立たずにいた明治14(1881)年、奈多沖に突然クジラが現れます。
地元の漁師たちは、苦労の末、暴れるクジラを捕獲しました。そして、そのクジラの肉を売って出た利益を、新校舎建設に充ててもらうため福岡県に寄付をしました。その寄付金により、瓦葺きの立派な校舎が建てられ、地元では永く「鯨学校」の愛称で呼ばれました。
奈多自治会は、これを後世に伝えようと、令和2年に石碑を建立しました。石碑には、鯨学校と呼ばれるようになった理由や、建設当時に県から贈られた感謝状の原文が刻まれています。