多の津三丁目の「追分石(おいわけいし)」
「歩・歩・歩(さんぽ)・会」
森永 徹(75)
北九州を起点に博多を経由して佐賀県唐津市に至る道を、唐津街道といいます。
九州の主要な交通路として江戸時代に整備され、福岡藩や唐津藩の参勤交代など
に利用されました。
多の津三丁目の旧唐津街道沿いには、街道の分岐点に道しるべとして置かれた
「追分石」があります。石の表には「右 いの大神宮」、裏には「再建 嘉永七年」
と刻まれています。
「大神宮」は、ここから北東へ約8キロメートルの所にある伊野天照皇大神宮(いの
てんしょうこうたいじんぐう)(久山町)のことを指します。伊野天照皇大神宮は、
古くから「九州の伊勢」とも呼ばれ、神殿や建物の配置も伊勢神宮を模して築造
されています。
筑前福岡藩第六代藩主の黒田継高が、福博の人々が大神宮に参拝するための新し
道を整備しました。この道は、箱崎から多々良川を渡り、土井を経由し大神宮へ続
きます。道中の案内として同様の道しるべが多々良小学校前にも残っています。