「福の民」は細部に宿る。

「おはようございます」と声かけあうのも、人と人とを結ぶための大事な技だ。「ハカタジカン」と言いながら、遅刻のおわびを言うのも、人と人との関係を守る知恵のひとつだ。そのような技や知恵は、家にも、街にも、仕事の場にも満ちている。それは福岡の街と民とが蓄えてきた大事な財産だ。けれども、暮らしのなかに溶けこんだ技や知恵は見えにくい。そのかたちも、子どもたちには子どもたちの世界があり、女には女の流儀があり、祭りには祭りの仕来りがあり、商いには商いの工夫があって、その場その場に応じて編み直され、さまざまな屈曲に富んでいる。そして、技や知恵が宿るのは、そのような屈曲に富んだ細部だ。
語ってもらおう。時代の変化のなかで、しぶとく時代を超えてきた、暮らしのなかの技や知恵について。その語りに耳をかたむけることは、これからの福岡の気風を養い、そこに生きる人たちの暮らしの底力を育む糧となる。
生きられた暮らしのなかの技や知恵を写真と聞き書きで描きだす「福の民」絵巻。
17
目次11行目
クラブ「カレン」支配人
クラブ「カレン」経営者
43
本文下段2行目
母もそんなうふうにして
母もそんなふうにして
115
注「吉四六劇団」1行目
野呂裕二
野呂祐吉
115
注「吉四六劇団」3行目
松下龍一
松下竜一
164
注「享保の改革」1行目
徳川吉宗による享保年間(一七一六~四五年)の幕政改革
徳川吉宗による江戸中期の幕政改革(一七一六~四五年)
171
注「香椎駅前」2行目
国道三号線以南
国道三号線以東
185
注「消防団」2行目
火事災害の召集
火事災害の招集
192
写真説明
(写真提供:長﨑玉恵さん)
(写真提供:長﨑玉江さん)
237
注「流」5行目
他の六流を加勢
他の五流を加勢
250
本文上段4行目
奈良屋幼児園
奈良屋幼稚園
280
本文1行目
福岡タクシー協会
福岡市タクシー協会
302
見出
クラブ「カレン」支配人
クラブ「カレン」経営者
302
本文7行目
やがて音信不通となった
終戦後、技術者として足止めされて、昭和二十六年まで帰国できなかった
303
注「キャバレー『赤い靴』」
キャバレー「赤い靴」 空襲で焼け野原となった中洲の街に、最初のキャバレーが建てられたのが一九四八年。その後一九五〇年頃までに大型キャバレー三店が次々と開店し、中洲の夜は少しずつ賑わいを取り戻していく。キャバレー「赤い靴」は、この頃開店した大型店のひとつ。この店のほか、「キャバレー上海」「ダンスホール夜の城」「金馬車」「キャンドル」「クラウン」「舶来居酒屋」「夜来香」などが、一流店として人気を博した。
キャバレー 踊り場を設けて客にダンスをさせ、かつ、接待をして客に飲食させる接待飲食等営業の一形態。客はホステスと飲食やダンスをし、バンド演奏やショーを楽しむ。森田さんによれば、東中洲に最初にできたのは「国際キャバレー」(一九四八年)。五〇年に「上海」「赤い靴」が相次いでオープンし、五二年には「ハイハット」「カズバ」、その後も「金馬車」「大洋」ほか大型店が続々と開店した。六〇年代にかけては、サロンと呼ばれる店も多くあった(「サロン小麦」がその走り)。また、キャバレーに欠かせないのが音楽で、深見俊次とハッチャ・ジャズ・オーケストラ、中井末男とメディコ・キューバン・ボーイズ、バンドネオンの佐川峯、バイオリンの小林正之などが人気だった。当時キャバレーには専属の歌手がいて、客が歌を聴く時代だったが、現在はカラオケを置いて客が歌う時代になった、と森田さんは語る。
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名簿中段17行目
山田裕爾 福岡市教育委員会委員長
山田裕爾 福岡市教育委員会教育長
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名簿上段14行目
福間裕爾 福岡市博物館学芸課
福間裕爾 福岡市博物館学芸課学芸係長